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天文17年(1548)戦史に名高い上田原の合戦がありました。信玄の相手は信州の豪雄葛尾城主村上義清でした。
同年2月1日、雪の中、両軍は入り乱れて混戦となり、地元で地理にくわしい村上軍が優勢で、武田軍は大敗、信玄自らも負傷し、また武田の勇将板垣信方をはじめ多くの武将が討死しました。戦いの様子を『勝山記』は次のように伝えています。
塩田原(上田原)ト申候所ニテ甲州ノ春信様ト、村上殿カンセン(合戦)被成候(なされ)、去程ニタカイニ見合テ、河ヲコタテ(木盾)ニ取リ候テ、軍ヲイレツ見タイツ被成候、去程ニ甲州人数劣(負)テ、イタカキ(板垣)駿河守殿、甘利備前守、才間河内殿、ハシカノ(初鹿野)伝衛門尉殿、此ノ旁々打死ニ被成候テ、御方ハ力ヲトシ被食(めされ)候…
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