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永禄6年(1563)、7月22日に降り始めた雨は8月2日まで降り止まず、新倉の山沢の大出水は、下流の田畑を押し流し、河口湖は大満水で湖岸の大小の家々は、高台の家を残して水没しました。
かろうじて難をまぬがれたのは船津村の円通寺と小林尾張守の屋敷ぐらいで、小立村の常在寺も水の中に孤立状態となりました。『勝山記』は、この水難の様子を次のように伝えています。
七月廿二日ヨリ大雨降始メ八月二日マテ荒蔵ノ山沢水大ニ出候テ…田畠悉流シ候…大原ノ事ハ大舟津ノ道下ノ久保迄海ニ成、大小館小ノ館悉ク海ニ成申候得共、常在寺計何方へモ不被罷出候、小舟津円通寺計残リ申候…(略)
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