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天文23年(1554)武田信玄は、強敵上杉謙信に対抗するため駿河今川・相模の北条両氏の間に、結婚による三国同盟を結び新しい情勢に対応しました。
この同盟で信玄の娘黄梅院が北条氏康の子氏政に嫁入りしました。『勝山記』には、この輿入れについて次のように伝えています。
…キンフクリンノ鞍ラ、コシハ十二丁、ヒキメノ役ハ小山田弥三郎殿被(めされ)食候、御供ノキハ甲州ヨリ三千キ、人数ハ一万人、長持四十二丁承取リ渡ハ上野原ニテ御座候、相州ヨリ御迎イニハ遠山殿…是モ二千キ計ニテ罷(まかり)越候…斯様(かよう)ナル儀ハ末代ニ有間(あるまじく)敷候間(そうろうあいだ)、書付申候…
この輿入れは、郡内領主小山田信茂が米岐女(ひきめ)の役として、金覆輪の鞍にさっそうとまたがり、軍勢一万騎を従え黄梅院の輿を警護しました。
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