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明応七年(1498)8月25日『勝山記』の記録は、次のように語っています。
八月廿(20)五日辰尅(午前8時頃)ニ大地震動シテ、日本国中堂塔乃至(ないし)、諸家悉(ことごとく)頽(くず)レ落、大海辺リハ皆々打浪(津波)ニ引レテ伊豆ノ浦へ悉ク死失、又小河悉損失ス
この日東海地方に起きた地震はマグニチュード八8.6を記録する最大級の地震でした。
3日後の28日、午後6時ころ地震とともに大風雨が郡内地方を襲い、西海、長浜、大田輪(和)、大原は山津波のため全滅状態となり、多くの人が死にました。ことに足和田、小海の巌は大崩れを起こし、山の土砂が流れてしまい、岩石だけの白い山となりました。
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