富士山と富士五湖の情報局

富士山の「カマ岩」が燃える

富士山の「カマ岩」が燃える

富士山の「カマ岩」が燃える 永正8年(1511)『勝山記』の記録は、前年、国中の武田信虎と、郡内小山田信有の和睦が成立し平和が訪れ、大衆は正月から大喜びしましたが、いっぽう『世問に「コウヒ」が大流行して、人々の死ぬことが「無限」であった』と書かれています。
 この病気(コウヒ)のことはわかりませんが、恐ろしい疫病で、1日病んで死に至ったとあリます。また、8月には大嵐村に天空が出現して村人たちが舌をすくませ、物が言えないくらい驚きました。続いて富士山の「カマ岩」が燃え(噴火)出し、大風も2、3回吹き、8月には全国的に大水害などがあったと記録されています。

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