第二章


プログラマーの値段

 さて、イーストでは1人のプログラマーが1ヶ月にいくら稼ぐのだろうか?
システムの依頼をソフトハウスに頼むと良く、人月という言葉が聞かれる。
これは、そのシステムを1人のプログラマーが作業すると何ヶ月で作業終了するか?という単位だ。
現在では必ずしも人月という単位はあてになるものじゃないって知られてきたが、1990年頃は1つの目安になっていた。
以下はイーストの人材における人月表だ。

水上部長(150万円) 吉田部長(120万円) 和田課長(100万円) 中堅社員(75万円) 新人(40万円)
水上順 イースト技術部部長(役員待遇) 吉田賢治 イースト技術部部長 和田信也 イースト課長 市原一郎 イースト開発部主任 久米秀樹 イースト新人代表

 ダントツは水上部長だ。彼はインターグラフのシステム設計が出来る日本で数少ないプログラマーだ。当時、インターグラフといえばコンピューターに興味がある人なら知っていると思うが、とにかく高度なシステムだ。
おそらく日本中、いや世界中の大企業が導入しているCAD系のシステムだ。出向チームの大部分はインターグラフのメンテナンスやシステム開発の為に行っている。中には遠くクウェートにまで出向している社員もいる。

 続いて吉田部長。彼もインターグラフのシステム設計が出来る。
その次が私、和田信也である。
私の当面の目標は、人月100万円だったが、入社後3年で達成してしまった。
特にパソコンの仕事で100万円と言うのは当時としては破格だった。
最終的に私は、平均人月130万円の時点で会社を退社した。

 一般的な社員は人月75万円程度だ。新人で40万円程度。
しかし、イーストでは入社1年で、中堅プログラマーとして取引先に申告し、単価を吊り上げる作戦を社長は良く行った。新人であっても、経験3年と嘘の報告書を取引先に渡していたのだ。
その為、技術力に疑いを持った顧客からはレベルが低い会社だといわれることもあった。本当はそんなことは無いと私は思っているのだが、社長のせこい報告書の為にイースト全体が怪しまれるようなこともたびたびあった。

 さて、大抵のシステムはチーム開発になる。
色々なレベルのプログラマーを組み合わせて仕事を行うのだが、イーストでは平均して、人月75万円で仕事を請け負っていた。
システムの見積もりが「のべ20ヶ月」なら、1,500万円程度の請求を出す。バブル期には2,000万円と言う請求を出していた。
だいたい1人が70万円〜80万円稼がないと会社は成長していけない。
ところが、イースト社内に素人プログラマーが増えてくると、実質75万円のプログラマーは存在しなくなってくる。
そこに無理が生じてくる。
更に、見積りも出来ない社員が急増してきたのである。いや、逆に頭数にも入れられないプログラマーも急増してきた。

 特に、Drawingのメンテナンス部隊は収入が無い。あるのはDrawingの売上である。
Drawing発売初期の頃は、売上も順調で、おそらく1人あたりが稼ぐ金額も営業と開発部を合計しても、人月相当で100万円程度はあったろう。
これが受注開発と違う大きな魅力だ。
受注開発はどんなに頑張っても、1人100万円が良いところ。しかし、商品は売れれば1人で無限の利益が見こめる。
従って、Drawing発売当初は今だかつて無い利益がイーストに転がり込んだ。ついでにDrawingを引き継いだ長井部長の発言力も増していった。
しかし、長井部長の開発部隊はプログラムの技術を向上させるわけでもなく、ただ漠然と残業をして、仕事をしているふりだけなので先が見えている。
 そこで私と湯川が、何度も上司にあたる木藤専務に長井チームの体質改善を要求しても聞き入れてもらえず、曽根社長も彼らには意見してくれなかった。
危機感を強めた私達は吉田部長にも相談したが、事務所が別になっているため、長井部長の現状を知らず、「人の悪口をいうな」と言われた。
悪口を言っているわけではない。社内技術を全体で高めようと提案しているつもりだが、平和主義者には通じなかった。

 参考として、イーストの簡単な年間売上高の算出方法がある。
人月単価×12ヶ月×人数=売上高である。
社員数が35人なら、75万円×12ヶ月×35人=3億1千500万円(約3億円)が会社の上昇維持の最低線だ。
1991年頃の社員数が35人程度で、売上が3億5千万円弱あったので、1人あたり人月で80万円以上あったという事だ。
出向と受注の平均人月が75万円なので、Drawingの売上がそれ以上の人月分あったことがわかる。
Drawingのメンテナンス要員と営業関係の社員数が10名程度で、Drawingの毎月の売上は2,000万円あった。つまり、Drawingの人月は200万円以上あるわけだ。実際には代理店と鈴木建設にマージンが渡るため、この限りではない。
ちなみに、その後のDrawingの売上は月平均、1992年:1800万円、1993年:1600万円、1994年:960万円…と落ちていくのだった。

 湯川はDrawingに愛着があるらしく、営業の立場も手伝って意見しているのだ。
つまり、Drawingのメンテナンスや特殊処理を顧客に依頼され、見積もりを取ってくるのだが、「そんな暇は無い」とか「出来るわけ無い」と長井部長に断られるのだ。
更にDrawingにバグが出たときも、そのバグの修正に数ヶ月を要するありさま。仕方が無いので、いつも私か徳田に泣き付いてくる。
私も徳田も別の仕事を行っているが、湯川の話を聞くと、「3日程度で出来るね」と私も徳田も同様な結論が出る。それで徳田と手分けをして営業に協力をしてやるのだ。
これが長井部長以下の人間の見積もりになると、1人月とか2人月とかになってしまう。

プログラム開発 プログラム経験の無い人にはわからないかもしれないが、プログラマーの能力の違いは倍数ではない。乗数だ。
もっと簡単に表現するなら、プログラマーのランクは、1ランク上がると10倍、2ランク上がると100倍の能力差があるということだ。
本当である。閃き、テクニック、どれを取っても段違いになるのである。
また、CADのプログラムを扱う以上、数学知識や建築、設計にも精通していなければいけない。
 これは上手に説明しても理解されないだろう。わかる人にはわかることなので、これ以上は追求しない。
しかし、これだけは言える。給与は乗数ではないし、能力不足で残業が多いと給与は高くなる。
会社は社員の集合体だ。1人で大きな仕事が出来るわけではない。そのことは良くわかっている。
組織の重要性も良くわかる。しかし、イーストのそれは矛盾だらけだ。
私の我慢にも限界ってものがある。

 この頃、イーストでは昔からいた中堅社員が1人ずつ退社していった。給与の低さが主な原因だ。
退社したのは主に出向社員で、新しい就職先は出向先だ。
つまり、イースト以上の待遇を約束されての引抜だ。
彼ら出向者は、ある程度技術力もあるし、会社に対して愛着も無い(出向している期間が長く、会社にはいつもいない為)ので当然の成りゆきだろう。
しかし、これで確実にイーストの技術力は低下していった事だけは事実のようだ。

 私にも会社移動の話はあったが、どうもイーストが好きなようで、会社を移る気にはならなかった。どうやら、社長とも木藤専務とも湯川とも腐れ縁だ。
それにどうせ、あと数年しか東京に居ないことだし、事務所を地元に開く野望の進行中だったことも一因だ。
イーストには、そんなこと(事務所持ち帰り)が可能だと感じさせる何かが私にあった。なにより私は、金に余り興味が無かったようである。
イーストが私に与えるプログラムの仕事は刺激的で他では味わえない内容ってのも良い。
ある意味で私も現状維持派なのかもしれない。


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