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製品として完成度を高めたDrawingが完成してからは湯川の出番である。
まずは、マニュアルの作成。
新しいDrawingは前バージョンを完全にリニューアルしたので、以前のマニュアルは使えないし、機能ボリュームも増している。
そのマニュアルを湯川は1人で完成させ、更にインストールディスクを用意し、2ヶ月後いよいよリリース。
イーストでは、今回のDrawingから本格的な営業活動を実施し、事業拡張をはかる。
まずは代理店の拡張を今まで以上に行う。
ちなみに代理店に対して、Drawingは定価の60%で卸す事になっている。
Drawingは定価が100万円であるが、これには理由がある。
そもそもCADソフトは爆発的な売上があるわけでもないし、ユーザーサポートが重要だ(というのが当時の建て前)。
すると、代理店は安価なソフトを売っていたのでは赤字になる。店頭販売で数が出なければいけないのだ。
つまり、イーストでは代理店の為に100万という値段設定をし、1本売れると40万円の利益が代理店に入るようにした。
問題があるが、この様な利益を代理店に与えないとソフトを取り扱ってくれないのが現実だ。もちろん、イーストは代理店認定の為に保証金を代理店から預かる。信頼関係のためだ。
当時のCADソフトの値段設定はユーザーのことは考えていない、自社の利益回収もあるが、多くの理由は代理店のご機嫌取りだ。
それにソフトに付随するハード(パソコンも含む)の売上も上がる。
当時では、プロッターまで含めたCAD一式の総合計は400万近くする。特にプロッターが高価だった。
だから、多くの代理店ではユーザーに一式を売る。もちろんメンテナンスも簡単になるからだ。しかし、だからといって高いというものではない。
Drawingは確かに画期的なCADであったし、世界に1つしかない方式だった。しかも、その方式は、設計者(図面を実際に描く人)が自らCADを操作できるのだ。
これは製図工程を大幅に短縮する。
イーストでは総代理店として機能する。
代理店の管理、教育、時には代理店主催のデモに参加。
実際には直販が一番利益が上がるのだが、通常の会社が行うような営業活動が出来ず、直販は余り無かった。なぜなら、要の湯川は代理店対策に追われており、(世間でいうところの)営業活動が出来なかったからだ。
実際に営業マンとして営業活動を行っていたのは、湯川より後に入社した営業専門の高橋という人物だ。
いつものイーストの人事で、高橋は営業課長として営業マンを取り仕切る役目が与えられた。
その他3名が営業の為に組織され、都合5名が営業の為に投入された。
木藤専務は営業部の部長を兼任し、彼を入れると6名の体制だ。
しかし、湯川を除く誰かが積極的に営業を行ったのかといえば、そうではない。
私の想像する営業というのは、飛び込みで会社を訪れて、熱意で商品を説明するのだったのだが、どうもイーストにやってくる自称営業マンは違う。
高橋課長も湯川に「どうしたら良いんでしょうね」なんて聞いてくる。
これじゃ何の為にCADソフト営業募集と称して求人をしたのかわからない。
いや、高橋課長が悪いのではない。面接をした曽根社長と木藤専務が悪いのだ。
良く私達の酒場での笑い話に、「社長と木藤さんは人を見る目が無いね、あったのは私と湯川を採用したぐらいでしょう」と社長と木藤専務に直接いっているくらいだ。
彼らが好きな人物というのは、彼ら自身の自由になりそうな人物が第一条件だ。
何故?私と湯川が採用されたのか?今でも不思議だが、きっと私達は面接時に猫をかぶっていたのかもしれない。
とにかく、営業なんてイーストでは今までやったことが無い。そこへ営業マンが入社して営業の指揮をとった。
しかし、私が見るに、ただのサラリーマンだ。
代理店対策は順調に推移していったが、直販は意外と伸びていないのも理由はここにある。
高橋課長以下、営業の名目で入社した社員は皆、たんなるサラリーマンだ。営業マンではない。
結局、彼らが営業活動を行ったふしは無い。最後には湯川が実質的に営業部を取り仕切った。仕方が無いのである。湯川に頼るしか彼らのすべは無いのである。
営業マンなのに自分の売る商品が何なのかわかっていない、コンピュータの知識が無い…等。これでは開発担当と話も出来ない。いや、お客様と話をするのも怖いだろう。この辺りにイーストの営業の弱さがあったと思う。
しかし、実際にはコンピュータの知識の問題ではないんだが…。
私が思う最大の理由は、イーストが営業マンを甘やかしたからだろう。
湯川の担当している代理店対策で売上があったし、景気も良かったからだ。
でも蓋を空けてみると、湯川におんぶしている余剰人員の営業マンがいるだけだ。
で、構図としては湯川を補佐する役目に自分の居所を求める(まぁ、いないと困るのも事実)。
話は変わるが、新Drawingから各種ショー(データショウーやビジネスショー等)の展示ブースの規模も豪華になった。
最初の頃のブース場所は、メインから少し遠いところに割り振られていたが、次第に目立つ場所に移っていった。
ちなみにブースの値段は、ビジネスショーやデータショーで1回、120万円〜300万円を要した。それにブース製作費、コンパニオン代等の経費もかかる。
ブースの大きさも、中小のソフトハウスにしては大きな面積も占有していた。
私は開発者ということで必ずショーに引っ張られた。
この時ばかりは私も営業マンだ。
私は先ほどの営業マンよりは実に良く対応していたと思う。口はうまいほうである。
しかし、欠点もある。お客様がソフトの欠点(お客様が見ての)をいうと、つい本気になって受け答えをするのだ。
プログラムの話まで…。
湯川には「気持ちはわかるが、相手も素人だから」と良く言われもした。
そんなある日のショーの途中で、湯川から紹介された人物がいる。
いつものように晴海の会場内にある喫茶店で休憩をしようとした時だ。
テーブルを見ると、白人男性らしい人物と談笑しているひげもじゃの男性がいた。
湯川はその男性を、「最近代理店になった、株式会社センチュリーの社長、隠岐社長です」と私に紹介した。
すると彼は名刺を手渡しながら、「ああ、あなたがDrawingを開発した和田君?」と物腰低く話しかけてきた。
「株式会社センチュリー代表取締役、隠岐敬一郎」それが名刺に書いてあった彼の肩書きである。それから、その喫茶店で同席し、Drawingの機能とかについて会話を交わした。
彼は昼なのにプンプン酒臭く、如何にも胡散臭そうだ。
それから彼と席を別にしたが、夕方になると彼は再び私達のブースにやってきた。
そう、今日はショーの最終日、打ち上げの日だ。
おそらく宴会にもやってくるのだろう。
湯川は、「あの人、凄く酒が好きだから」と私に耳打ちをするのだった。
隠岐敬一郎、彼が数年後イーストを乗っ取るとは誰も夢にも思っていない。
そう、彼は物語のキーパーソンでもあるのだ。そして彼の本格登場までにはまだ時間がかかる…。
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