富士山と富士五湖の情報局

源氏の白旗
【武田流・流鏑馬】
冨士御室浅間神社の流鏑馬は平安時代末期からはじまりました。
新羅三郎義光は奥州への戦の折,ここへ立ち寄り戦勝祈願し、凱旋の折に始めたと伝えられます。

源氏の白旗

戦ヘ急ぐ途中、山中で迷ってしまった新羅三郎義光の前に、黒駒を引いた不思議な木こりが現われ、道案内をしようと申し出ました。

 武田信玄公の先祖に、新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)という武土がいました。兄の八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)が東北地方の反乱をしずめるために戦っているのを助けるため、京を出、甲斐の国にさしかかりました。
 義光が山深い甲斐で道に迷い、一歩も前へ進めなくなった時のことです。黒い立派な馬をひいた不思議な木こリが現われ、義光に道案内を申し出たということてす。
 奇妙なことに、木こりが歩いていくと、それまでは草木が生い茂って道などまったくなかったところに、自然と道がひらけていきます。義光が驚いてあたりをよく眺めてみると、草木のなかに隠れて、真っ白い旗がところどころに立ててあります。「この白旗が、道の目印になっているのだ。それにしても、誰が立てた道しるべなのか」
 義光はますます不思識に思いました。木こリはなにも言わず、もくもくと進んでいきます。やがて、目の前が広々とひらけました。「さあ、ここが頂上です。あとは、この道をまっすぐ行けぱ、東北へ抜けられます」そういうと、黒駒と木こリの姿はまたたく間に消えてしまいました。
 義光がいまきた道を振り返ってみると、八本の白旗が見えました。「そうか、八本の白旗は、源氏の守リ神の八暢大菩薩をしめすもの。あの木こリこそ、八幡大菩薩だったのだ」
 義光は山をおリると兵と馬を集め、冨士御室浅間神社に祈願し、東北へと出陣していきました。
 戦はみごとに勝ち、義光は帰リにも御室浅間神社にもうて、盛大な感謝のお礼祭をしました。


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