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【羽根子山】
その昔、羽根子山にはたくさんの猿が住んでおり、ふもとの村にもよくおりてきました。
人間との暖かい交流が生まれていました。
おなかをすかせたときに助けられた猿は、村が飢饉のとき、こんどは山の実をどっさりもって、恩かえしにやって来ました。
戦国から徳川時代の村といえば戸数はわずかで、溶岩や火山灰のやせた土地に、ヒエ、キビ、アワといった雑穀を作って貧しく暮らしていました。
村の原野や山林では、シカ、イノシシ、オオカミといった動物たちがかけめぐっていました。ことに多かったのは、猿です。村の西にあたる羽根子山(はねっこやま)は、猿のすみかでした。
この山のふもとの小海部落に、よしばあさんと呼ぱれる人がいました。ある晩、戸をたたく音がして出てみると、猿の親子でした。おなかをすかせているようでしたので、タごはんの残りのほうとうや、ヒエのダンゴを与えました。猿は両手をあげ拝むようにしてから食べたということです。
このようなことが何回か続いた…。その後、干ぱつにみまわれた悲惨な年がありました。作物はとれず、村びとは木の根や草の根を食べて飢えをしのいだが、死ぬ人も出ました。
そんな秋の夜、やせ細ったよしぱあさんの家の戸を叩くものがあります。あの猿の親子です。背負ったカゴのなかには、とうとい糧(かて)の山グリやキノコがたくさん入っていました。猿のおんがえしに、よしばあさんは涙ぐみました。
きぴしい冬がやってきました。雪の朝、よしばあさんは戸を開けた先に、猿の親子が抱き合ってこごえ死んているのを見つけました。山に食べものがなくなり、よしばあさんを頼リにやってきたものの、とうとう力尽きてしまったのでした。
よしばあさんは近くの小高い丘に猿の親子を手厚く葬リ、供養を続けたといいます。貧しい時代の、人間と動物の愛惰と、助け合いのお話です。
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