森は楽しみ方を提供してくれるだけだ。
まず案内されて感心したことは、「ただの森」の中に各施設が「ただ配置」されているということだ。初めて訪れたひとは「どうやってこの空間を楽しむの?」という素朴な疑問に陥るかもしれない。答えの用意された施設や分解しても中身が分からない昨今のオモチャや電子機器に慣れきってしまった現代人の脳を軽く刺激する。「分解して仕組みを理解するものがオモチャ」であったり、「そこにあるものを工夫して遊ぶ」のが楽しかったりと、何か感覚が懐かしく、「昔はそうだったな」とか「子どもはこういうことを経験させるべきだ」と考えたりするわけだ。
まぁ何はともあれ受付を済ませた後、一番最初に目にするであろう天から吊るされた一本のロープでターザンの真似事をする。つまり、「こうやって遊ぶんだな」と分かるものから試すこととする。やってみるとこれが意外にも楽しい。ターザンの真似事なんだが、結構体力が必要だ。最初は遠慮がちに始めたターザン遊びも時間とともに夢中になっている自分に気が付く。体の細胞が目覚めて行く感じだ。「行って戻れるか?」とか「どこまで飛べるか?」とか「ロープのどこを持とうか?」とか遊びの工夫が自然と始まる。どうやら知らない間に森のマジックに引き込まれたようだ。
これらの遊具にはアシスタントが常駐し、安全に指導してくれるので子どもたちだけでも安心だ。ちなみに私は次の日筋肉痛…。考えていたより全身運動だったらしく、色々な場所が痛んだ。日ごろの運動不足を反省。
軽く運動をすると、体は森のモードに入る。そうすることによって、これから巡る森に入る準備が完成するというわけだ。
さて次は空中回廊。森の中を延々と張り巡らされたスロープを歩く。歩いていると気が付くのだが、森をこの視線で見たことが無かった。まるで小鳥になったようだ。樹から樹へと渡り歩く森林浴が体の英気を養う。途中に奇抜な仕掛けがあるわけでもなく、延々と木々を渡り歩くのだ。
車椅子でも通行が可能なので、心と体のリハビリにも最適かもしれない。途中には休憩ポイントもあるのでボーッとしてみるのも良いかも知れない。
この空中回廊のほか、地上を張り巡らされた回廊もある。こちらは様々なオブジェが配置されていたり、忽然と樹の上に秘密基地のような小屋があったりとする。インストラクターの鈴木さんに「これらは登ったりしてもいいの?」と聞くと「どうぞご自由に」と答えが返ってきた。
「そうか…森の施設は自分で考えて楽しむんだ」と、だんだん気が付き始める。樹の上の小屋は秘密基地であったり、展望台であったり、もしかすると恋人同士の空間であったりするわけだ。そんな使われ方を森は望んでいる…。
施設に慣れてくると自分の身の置き場所がわかってくる。レストラン周辺に居ても良し、人が近寄らないところに居ても良し、何か体験プログラムを受けても良い。例えば家族で利用する場合、夫婦はレストランや体験プログラムを楽しみ、子どもは森の中を自由に走り回らせるなんていうパターンもある。つまり、一日を安全に自由に使えるわけだ。どう楽しむかは自分で発見するものだと気が付けば施設の遊び方がわかってくる。はやく森に馴染むのがコツなのだ。
チェーンソーで何かを作るのも楽しいし、アクセサリーを作るのも楽しいし、ポニーに乗るのも楽しいだろう。いやいや、ロープでターザンも、静かに黄昏るのも、食事を作るのも、食べるのも…。森を散歩して気が向いたら色々試してみると良いだろう。ハーブの足湯やアロマの小屋なんてのもある。
レストランでの食事は思いっきりワイルドに楽しむのが面白い。広いウッドデッキでダッチオーブンなんかどうだろう?鉄鍋に鶏肉などの具財を放り込み鍋を蒸し焼きにして調理する。またはジンギスカンなんてどうだろう?ビールがおいしいこと請け合い。
夜は焚き火を囲んで談笑したり、お気に入りの場所で夜空を眺めたり、森の夜の雰囲気を満喫するのもいいだろう。
また希望によっては河口湖でカヌーツーリングや釣りなどのメニューも用意されている。特別講座として、カスタムナイフ作りやチェーンソーでオブジェを作ったりログハウスを作ったりできる。ぜひ問い合わせて欲しい。
地元に居ると箱物に頼っている富士河口湖町という印象がある。カリスマなんとかもそういう発想だ。しょせん箱物はソフトが無ければ二回転ほどしかしない。ソフトの能力が無ければハードを作り続けるしかない。そんな考えの人たちが「富士山を世界遺産にしよう」と言っている。いま地元の人が後世に残さなければいけないのは、人の入らなくなった施設ではない。未来永劫と続く自然との調和だと思う。結局そうすることが観光地としての魅力につながるのだ。悲しいことに地元以外からやってくる人たちから学ぶことは多い。
記事:久保覚 |