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【神様の食物だった米】
その昔、米は神様の食物でした。一生のうちに一度も食べたことのない人がたくさんいました。
米が主食となったのは戦後の事です。
河ロ湖のあたりでは、むかしは米がまったくとれませんでした。米は尊いもので、ボサツさまと呼ばれていました。寿命をのばす宝物でした。
その昔、河ロ湖のまわリのどの村でも、農作物の収維は少なく、自給自足どころか、一年の半分の穀物(こくもつ)をとるのが精いっぱいでした。
米はまったくとれません。アワ、ヒエ、キビ、トウモロコシといった穀物を食ぺて細々とくらしていました。
米は、ハクミヤアとか、ボサツさまとか呼ばれて、神さまや仏さまが食べるものと信じられてきました。それほど尊いものでした。村の家では、少ない食べもので家族がいかに満腹するか、また、食べにくい穀物をどうしたら食べやすくできるかの、料理の知恵や工夫をしました。その一つに、モロコシのオネリがあリます。イモや季節の野菜をナベでにて、そのなかにモロコシの粉を入れてねりまぜ、みそで味つけしたカユです。とうもろこしの団子と共にこれが主食でした。だから、みんな米にあこがれをもっていました。死ぬまでにいちど食べたいと願っていました。
村に病人がでると、お寺にお参りしたり、占ってもらったり、神さまにお百度を踏んで祈ったりしましたが、そのかいもなく病人が死にかけると、よその村からひとにぎりの米を借りてきて、竹の筒に入れ、病人の耳元で米の音を聞かせました。
すると、病気はなおったといいます。また、なおらない病気で苦しんでいた人も、安らかな顔をして冥土(めいど)へ旅立ったといいます。
このあたリの村で米が日常の食べものとなったのは、じつに、第二次世界大戦によって、主食品が国民に均等配給(きんとうはいきゅう)されるという制度になってからのことです。
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