富士山と富士五湖の情報局

住民らウノ嶋に戦火をさける

住民らウノ嶋に戦火をさける

住民らウノ嶋に戦火をさける 永正13年(1516)7月12・13日の両日地露があり、9回大震動を起こしました。その年の暮れの26日、午前10時ころ、吉田の城山を占拠した駿河の今川勢と武田勢が激突し大乱戦となり、その後連日戦いがありました。
 この激戦に参戦した郡内の豪族西海右近兄弟3人、大石与五郎が戦死。続いて29日には小林和泉守(宮内丞)も出陣しました。しかし敵の攻勢は激しく、合戦は拡大するぱかりで、戦火を恐れた村人たちは、先を争って河ロ湖のウノ嶋に避難し、島で年を越すことになりました。『勝山記』は、その様子を生々しく伝えています。
 …此年極月廿六日巳剋ニ西海右近と平八マテ兄弟三人、大石与五郎殿モ打タルルナリ…其後日々合戦シテ地下ハ皆々ウノ嶋ニテ越年ス…

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