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ザルは、第2次世界大戦中まで村内の家々で作りました。ザル作りが盛んになったのは、大正時代になってからのことで、それまで隆盛をきわめた養蚕業が、大正10年前後に衰え、それと前後してザル作りが注目されました。勝山村は当時稲作はできず、唯一の現金収入でした。大正のころで、ザル1つ=米1〜2升といわれており、ザルの販売に北海道までいった人もありました。
軒のトウモロコシは、モロコシ団子を作るためのものです。(写真は役場所蔵)
明治5年学制が発布された当初勝山村では、廃校になっていました浄蓮寺を小学校に考えていましたが大火で類焼したため、妙本寺を仮校舎とし明治7年に開校しました。
この堂が塚校舎は明治17年9月23日に完成移転し、その後何回か増築をし昭和12年11月に現在の場所に小学校が建築されるまで、実に89年間勝山村の人たちが学んだ懐かしの小学校校舎です。(写真は小佐野一誠氏提供)