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勝山土地改良事業は、小海の田圃完成の刺激もあり、勝山村に大規模な水田を造成する夢の大計画が、有志により検討がされておりましたが、昭和27年4月村議会議員等の発議があり、昭和32年4月勝山土地改良区設立の正式認可がされ、この大事業が始動しました。今までに見たことのない自衛隊の大型ブルがうなりをたてはじめ、60haに及ぶ大水田造成事業が、幾多の困難をのりこえ完成しました。写真は排水道路建設の風景です。
(写真は役場所蔵)
篠竹(スズ竹)は、秋11月ごろに富士山二合目付近の山に入り、雪の降るころまで山小屋で過ごして、篠を刈りとり、馬や人の背で、里に運ばれました。
この写真は篠竹を牛車で運ぶ風景です。村の統計によれば、昭和43年に採取された篠竹は5800Kg、44年に5000Kg、45年に4800Kgに達しています。(写真は役場所蔵)
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