私は関東、茨城に在住の58歳の男性です。
平成22年7月16日に休暇を取り、富士宮口登山道から頂上に行ってきました。その時の体験を書いてみたいと思います。翌17日から3連休になり登山の疲れを取るのには丁度良いスケジュールでした。
事前にネットでも探したのですが、関東方面からの富士宮口から登るツアーは見当たりませんでした。河口湖からの吉田口登山道のツアーはすぐに見つかるのですが、太平洋側からのツアーは関西方面の出発がほとんどです。関東に住んでわざわざ関西まで行って富士宮口から登るのというのは時間的経済的にも困難でツアーに頼らず行くことにしました。当日朝6時前に高速バスで「潮来」インターから乗車、東京駅には7時頃に到着。東京からは新幹線で三島まで。三島からは登山バスで富士山五合目まで一直線。ただしバスの実質乗車時間を2時間覚悟しなければならないのが難点です。今回始めて三島駅に降りたが、10時15分発のバスまで1時間以上の待ち時間が出来、喫茶店で時間を潰そうと探しましたが駅周辺の喫茶店は10時からの営業で、観光案内所やコンビニで時間をつぶすくらいでした。
駅前は湧き水が木立に囲まれた風情をモチーフにしており富士山の麓・三島らしさが感じられました。平日のためかバスの座席は空席有りの状態で発車。土日だったら今日のようなわけに行かず、満員で立ったままの2時間は辛いものがあるだろうと思います。
バスはサファリパークやアミューズメント施設、別荘地を転々としながら12時に五合目に到着。一切渋滞はありませんでした。一般車の路上駐車で登山バスがカーブを曲がりきれずに大渋滞といったケースが以前はありましたがよく管理されているようです。
今回、富士宮口登山道を登るのは2回目になります。23、4年ほど前、そのとき健在であった妻の父と登ったきりです。ひたすら登りが続く登山道であったという印象だけが残っています。めったに来ない登山道なのでここからの風景を1眼レフカメラとビデオに撮っておこうと機材を2種バッグに入れました。三脚もバッグに括り付け、いつもよりバッグも重く感じます。10Kg以上の重さになっているようです。五合目レストハウスで天ぷらうどんを食べゆっくり時間をすごし気圧への順応を図ります。富士宮口の5合目は2400mの地点で富士山の中では一番標高が高く、一人登山のため安心を図って順応時間2時間をみました。ここからは富士山の上まで一望できます。
2時丁度に登山開始。反対側の吉田口登山道は五合目から六合目まで最初はほとんど下りになりますがこちらは、当たり前ですがいきなり登り始めます。適度な勾配が最初から続きます。登山時間もこちらの方が短いとガイドブックに書いてありますがその分全体の勾配はやや急な感じがします。吉田口は今まで10回以上利用していますがこちらは2回目、全体としてこちら富士宮口の方が足元は登りやすい登山道だと感じました。登ったことのある人は皆体験していることでしょうが吉田口登山道の六合目から七合目はふわふわとした砂礫の層に足を掬われ、空回りしながら登っている感じがしますがそんな空まわりがこちらにはありません。一歩一歩しっかり踏みしめて登れる、ロスが無くて済む、そんな違いがあります。
七合目は午後4時30分通過。ここで3010mの高度に達した。20〜30分毎にバックからカメラとビデオを取り出し周囲を撮影するゆっくり登山のためガイドブックの標準登山時間より3〜4割は余計に時間がかかっています。しかしいつも2700m前後で必ず襲われる息苦しさと吐き気がこの高度に来ても今回はありません。登山に時間をかけているためでしょうか今回、高山病の兆候は無いようです。時々サアーッとガスがかかり雲海に包まれると思うと次の瞬間には晴れ間になり天候は1時間の中でもめまぐるしく変わり、しかし幸い雨の予報は無く順調そのものでした。
途中、ニッカポッカをはいたヘルメット姿の作業員風の人がリュックを背負い登山道の凹みをスコップで穴埋めしていました。「なんですか、工事ですか?」と話しかけると「県道の補修工事なのですよ」と苦笑い。「えっ?県道?この登山道って県道なのですか?」まさしく県道なのだという。立ち話をすると、昔は作業代も平地の倍近くもらえたが最近では3割アップ程度に抑えられているという。ここまで人力で登ってきて空気の薄い中、機械無しに穴埋めをして平地の30%アップの作業代ではいくらなんでも辛かろう。そのように積算した当事者はこの苦しさを経験したことがあるのやらと思わず同情しました。
今回、山小屋の予約は九合目の万年雪山荘を数日前にとっていました。決め手はバイオトイレと頂上への時間。修業のような覚悟で悪臭トイレを使うのは避けたい、出来れば頂上近くで泊まりたい、この2点を考えネットで検索し予約しました。富士宮口登山道は吉田口に比べ山小屋の数は半分程度に少なく、土日だとかなり前からでないと予約も難しいでしょうが平日のせいか3日前でも取れました。
八合目3250mの池田館前のベンチから夕方の影富士が見えました。宝永火口の稜線に沿って薄い影がすっと射し、富士の稜線を投影しています。雲海がその下に広がり、まだらな雲間から下界が垣間見えます。夕暮れの影富士を見るのは初めてでした。
途中途中で写真やビデオを撮ったせいか3460m九合目の万年雪山荘に着いたときには6時30分になっていました。文字通り下から見上げると万年雪が山小屋の背に見えるロケーションでした。
自分のペースが分かっているので標準工程時間の4割増しで考えていたので到着予定時間も実際は同じでした。いつも考えるのはあの標準登山区間の時間です。どの年齢の、どれくらい荷物を背負っての人の登山時間を基にしているのかいつも不思議に思います。20代と50代では下手すると倍違う。荷物も5kと10kとでは倍違う。58歳で12Kgの荷物を背負った私は4割から5割り増しで登山時間を見て正解のようだ。あの数字はかなりのハイペースで登れる人を基準にしていると考えてよいのでは? 余談ではありますが、「年齢別、荷物重量別登山予測時間表」でもあれば大変参考になるはず。いつも考えることです。
小屋に入ると予約の名前を告げ宿泊名簿を書き6000円
(1食分込みです)の支払いを済ませます。泊まり部屋は食堂・談話室の隣にあり、通路を中心にカーテンで仕切られた部屋が二段になって左右にある。カーテンを開けると3〜4畳ほどの部屋に布団と枕がすでに5つ並べられている。中腰で歩かないと無理な高さで、壁には釘が50Cmおきに打ち付けてあり、荷物はすべてそこに引っ掛ける仕組み。私は誰もまだ到着していなかったのでその部屋の一番奥へ。荷物を置き貴重品だけ持って食堂へ戻ると夕食券を渡し7時までの夕食時間に間に合う形になった。ミルクを追加して頼むがあいにくミルクは無い。疲れると私はミルクが飲みたくなる。「ミルクティーはありますが」というのでそれで代用。飲みながら食事は何が出てくるかと思ったが定番のカレーであった。紙コップに水が一杯ついてきたがこれがとても旨かった。カレーも美味しくいただける。高山病にかかっていない証拠だ。
部屋に戻るとすでに二人目の登山客が入っていた。30歳代の男性で私と同じ一人登山。名古屋から来たという。今まで2回登頂したがまったくご来光が見られず今回で3回目になるという。「もう二度と登るものか」下山する度に考えるのですけど、もし今回ご来光が見られたら本当に富士登山はこれで終わりにするという。ご来光目当ての登山者は実に多い。この小屋は朝の2時には起こされるという。いや、起こされるというより登山者が起きだし寝ていられなくなるという。その時間に起きださないとご来光に間に合わないらしい。自分でも余裕を見て2時半起床で予定していたが正解のようだ。そのうちまた二人宿泊の男女が同室になり、4人での相部屋となった。この二人も30歳前後で名古屋からの人たちであった。夜8時には消燈となり、話し込んでいる登山者もおらず静かなものである。2度3度途中で目が覚めたが4時間は睡眠がとれたようだ。
話のとおり、午前2時になると誰が合図するでもなくいっせいに登山者が起きだし、身の回りを整理し始めた。トイレは宿泊室からも外部からも2方から入れるが外部からの人は有料で宿泊者は無料となっている。トイレだけに臭わないわけではないが鼻をひん曲げるほどでもない。緊張しているのか、「大」のほうが踏ん張ってもでない。
長袖シャツ、フリース、レインウエアをまとって出発。完全防寒態勢で、急な雨と明け方じっとご来光を待つための服装である。外に出ると薄い雲越しに星が点々と見えていた。雨の心配は無い模様だ。ずっと単調な登りが続く。勾配が突然急になったり又はなだらかになったり、の変化が少ないので非常に登りやすい。両手にストックをついて腕の力を借りて登ると楽である。登山者の半数近くがストックを2本持っているようだ。脚力だけではかなり体力を消耗することになるだろう。
40分程で九合五尺の胸突き山荘、3590m。通過してまもなく見上げると黒いシルエットで建物が見える。頂上が近い様子だ。当たり前の法則を自分に言い聞かせ足を動かす。「一歩でも動かない限り、目標には近づけない」と。自分を励まし、あと少し、もうすぐだと歩みを重ねる
。やがて、頂上の鳥居が見えた。鳥居さえ見えればゴールは間近。さすが頂上になるとそれなりの登山行列が出来る。皆、へばってしまいスピードか落ちて自然行列を作っているようだ。行列を押す人もなく、抜く人もいない自然の流れであり澱みである。4時丁度、富士宮口登山道の終点到着。頂上はまだ薄暗かったがライトを消しても、しかし足元はほのかに見える程度の薄暗さであった。
今回私には目標があった。剣が峰の場所からご来光を見ることである。今まで何度も頂上に来たが、吉田口登山道を登りきった鳥居の周辺からご来光をみるのがせいぜいであった。そこからさらに剣が峰まで歩くのはとても辛いことだった。しかし今回、富士宮口の九合目で泊まり、早くに出れば剣が峰でご来光を見ることができる筈。そのためにカメラとビデオも持ってきた。鳥居をくぐると、まっすぐに剣が峰に時計回りに向かった。人影がほとんど無い。馬の背の急坂が最後の関門である。
五歩進んでは休み、5歩進んでは呼吸を整える。踏ん張っていないとずり落ちそうだ。坂を上っている途中で周囲が白み始める。確か4時30分過ぎにご来光が見える筈。正確な時間がわからないがあと数分で夜明けになる気配だ。ドラキュラになった気分だ。夜明け前にたどり着かないといけない。坂を上りきる。東の空が、つまり火口の対岸の空が輝き始める。剣が峰まで馬の背の坂を上りきるとほんの数分だ。その数分が今、とてつもなく早足でやってくる。剣が峰に到着するとそこには20数人の登山者たちが三脚を広げ、数十秒後のご来光を、固唾を呑んで待っているところだった。
剣が峰の高度標識のすぐ先に、空いているスペースを見つけ三脚を設置しビデオカメラをセット。ご来光の様子はハイビジョンンで数分間撮っていれば良い。手には一眼カメラを持ち撮影に専念する考えだ。
火口の対岸 (対岸というのかどうか?) 越しに水平線は見えた。今まで剣が峰側からは対岸の火口が邪魔して水平線は見えないだろうと思っていたが、実際は剣が峰からは対岸の火口さえ見下ろす形で、その先の水平線まで充分に視界に入れていた。「こちらからでもご来光は見られるのだ!!」新鮮な驚きであった。成就岳と大日岳の中間にご来光は上がった。まるで木星のように、赤い太陽は前面にそびえる雲に周囲を取り囲まれ、まだらになったり裸になったりしながら浮かんできた。神々しい誕生を見る思いだった。
太陽が上がりきると、踝を返して展望台に向かった。剣が峰からほんの十数歩の奥の地点に富士山の大沢崩れを見られる場所がある。鉄のはしごと階段とをよじ登り裏の富士山の景色を見られる場所だ。朝の影富士が雄大に延びて広がっていた。感動するくらいに雄大な景色だった。雲海だけでなく地平線、その上に広がる山々や雲までスクリーンにして富士山はご来光の影を見せていた。今まで朝7時過ぎにしか見ていなかった影富士、今回の日の出の直後の影富士、時々刻々によってその広がりと形は違うのだということが改めて分かった。
今回、お鉢めぐりは、剣が峰の真下の積雪のため通行できなかった。雪上を敢えて回った人たちもいたようで雪上に足跡が見られたが命と引き換えの冒険である。滑れば火口行き。
帰路は、御殿場口から戻った。途中、道草を食って宝永火口にも立ち寄り、大火口を眺めここでもカメラとビデオを撮り時間を費やしてきた。
私にとって今回の富士山登頂は21回目に当たるが、今回のように定期的に数十分ごとにじっと写真やビデオを撮る登山は初めてだった。そしてそれが関係しているだろうが、まったく高山病にならなかった。一度も高山病にかからなかった登山は今回が初めてだった。
午前6時に頂上から下山開始し、気の遠くなるような一本道を延々と下った。10時30分に大石茶屋着。あまりにも単調で、途中どんなにこの下山同を悔やんだことだろう。小屋について一杯100円の洗面器の水で顔を洗いタオルを浸し搾り、体の汗をぬぐうと生きかえった心地がした。待望のミルクもここで呑むことが出来た。冷えていてその美味しいことといったらなかった。500mほどさらに歩いて10時50分の五合目発の下山バスに乗車。
御殿場駅では風呂に入りたいところだがどこにあるか分からないので今年もトイレで着替えを済ませた。登山が終わるのと同時に今年の梅雨は明けていた。「御殿場インター」までタクシーで向かい「潮来」へは高速バスを乗り継いで午後4時に着いた。自宅の風呂に入り、まだ時間もあるので近所の床屋さんに向かい髪を短くしてもらった。一泊二日の富士登山は今回、余裕に満ちた物だった。
今回、あえてほかの登山者に忠告するとすれば体験から「急がない登山をすれば、徐々に高度に慣れることが出来る」点です。スケジュール時間に追われ、人に追われの登山は高山病の元といえるでしょう。30分毎に5分の撮影時間を設けるのも趣味と実益を兼ねたよい登山になることでしょう。標準登山時間はエリート登山者たちのものと最初から考えた方が無難です。今回、登山から戻ってもかなり楽でした。来年も勿論、健康である限り登るつもりです。
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