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∞きらきら日和∞

THE 道祖神 番外編

THE 道祖神 クエスト  

ひなぎく荘より 月と富士山

初・投・稿 

THE 道祖神

 

2011年3月25日16時09分


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みなさん。こんにちわ。
ひなぎく荘のきらきらです。


今回のきらきら日和は

少し長文になります。


もしよろしければ

少しの時間

お付き合いくださいませ∞


私は今、

実家の熊本に里帰りをしております。

偶然にも3月13日から

熊本に滞在する予定にしていて

家族や山梨のみんなの

勧めもあって3月いっぱいは

熊本ですごすことになりました。



富士吉田、富士山を

恋しく想いながらも

今は阿蘇山を

遠くに眺めながら

熊本ですごさせてもらっています。


関東方面では

計画停電の影響もあり

富士吉田のみなさまの

心身の健康状態は

大丈夫かしら

と案じております。


今、各地で

被災地の方々に対する

支援・復興、

そして被害者のみなさまの

受け入れ態勢が

全国で整い始めていますね。


私は九州に環境運動とかを

一緒に行っていたお仲間が

たくさんいるので

九州の方で

避難してこられた方々の

受け入れ先を準備しているお仲間と

私も自分にできることは

何かしらと今、

一緒に考えています。



こういうときこそ

助け合って、自分の感じることを

言葉にしていくことで

心の中に不安を

ためこまないようにしてゆきたい

ものですね。




こんな中、

私は今回の地震を

通して私が毎日

山梨で使わせてもらっていた

電気が原発からのもので

あったことを知り、

その事実を知ろうとしなかった自分が

とてもはずかしくなりました。。。


そして

今回の地震によって

事故を起こしてしまった

福島原発関連の情報の中で

元日立製作所技術者で

20年間、原子力発電所の現場で

働いておられた

平井憲夫さんの文章に出逢いました。

http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html


<元日立製作所技術者の遺言>

として知られているようです。


その中でも

平井さんが一番伝えられたい

メッセージだけ

コピーをしてみました。


少し長い文章に

なりますが

よろしければぜひ

読んでみられてください。


↓ ☆


「最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。



私は今回この文章に出逢って

世の中には、

大切なことを守っていく為に

「NO!」と立ち上がらなければ

いけないことがあるのだ、

ということを強く感じました。


今回の地震を通して

私たちは今までの生き方を

見つめなおす、立ち止まる

チャンスをいただいている

のだなぁと感じます。


地球をこのまま

汚してまでも楽な生活を

続けていくのか、

それとも自分を愛するように

地球を、生命を

愛する道を

選んでいくのかどうか。


私は少なくとも

地球を愛し、

人を愛し、

生命を愛し、

自分を愛し続ける

ことのできる世界に

生きてゆきたいと想います。


そして次の世代に

きれいなきれいな地球に

のびのびと

笑顔いっぱいで生きて

もらえるように

今、ココから

私たちの生きている

社会システムを

大きく成長させていけるように

意識的にもっと

生きてゆきたいと想っています。


愛する自分のこれから

生まれてきてくれるかもしれない

子供たちに

飲み水が危ない。

食べ物も食べれない。

肌を出してお外で遊べない。

そんな世界を

残していきたいでしょうか。


今、生きている私たちで

これからのことを

しっかりと考えてゆきましょう。

そして行動に

移してゆきましょう。



4月に山梨に戻ったら

また山梨のお仲間の

みんなと一緒にできることを

お話し合いしてゆきたいと想っています。


このような状況にあるからこそ

私たちは

人間だからこそできる

可能性を信じてゆきたいですよね∞