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本章の核心部分は湯川が担当する。何故なら、和田は地方にいるため、東京でこなす手続きや作業は湯川に任せていたからである。
つまり、東京で起きた出来事は湯川に語ってもらったほうが良いのである。
「じゃ湯川君、なるべく丁寧な言葉遣いで、核心部分を頼むよ…」
ここから私は湯川である。
約10年のサラリーマン生活に別れを告げ、退職届を叩きつけた私達…。そしてそれは、これから始まる未払い給与と退職金の奪還作戦開始でもあった。
未払い給与に関しては会社を辞める前から曽根社長に電話で請求をしていたが、曽根社長は金がないことを理由に支払わう姿勢を見せなかった。
イーストが支払う義務がある金額は、
・湯川、2.5ヶ月分未払い給与約90万円、退職金約220万円。
・和田、3ヶ月分未払い給与約130万円、退職金約320万円。
約760万円ほどある。
正式に、これだけの負債がイーストにあれば、隠岐会長も曽根社長もイーストから手を引きたくなるだろう。
問題はどうやって認めさせるか?だ。
実際に、会社が支払わない金を回収するとなると結構大変だ。借金取りと呼ばれるその道のプロであれば、イーストの事務所に乗り込んで業務を邪魔したり、入り口のドアに「金返せェー!」という張り紙を貼ったり、という手だてを考えられるのだろうが、残念ながら我々はそんなに暇でない。
しかも曽根は、「どーせヤツらには何にもできないだろう」とナメているかのように、ただ逃げているだけだった。そこで、法律的に順を追って追い込むプランを考えた。もちろん最悪のケースとして訴訟ということは覚悟しているが、できれば面倒なことは避けたいという気持ちと、曽根に勝ち目はないのだから、どこかで我々に負けを認めるだろうと考えたからだ。
まずは我々個人が支払を請求しても、曽根が相手にしない可能性があるため、公的機関を利用することにした。つまり、労働者を守るべき(と思っていた)立場の労働基準監督署への相談である。
6月25日、イーストが夜逃げした先が千代田区だったため、その管轄区である霞ヶ関の労働基準監督署へ向かった。そこは、東京国税局や入国管理局もある合同庁舎なので、人がわんさといて少々にぎやかなところだ。
さっそく監督関係窓口で用件を伝えると初老の担当者が話を聞いてくれたが、その内容はやっぱり、お役所仕事だなぁという感じだ。どうして退職するに至ったか、どうして給与の未払いが発生したか、それはいつからいつまでの期間か、たったこれだけしか聞かれなかった。人の感情や経緯などはまったく問題でなく、支払っていない事実だけしか必要ないらしい。とても相談しているという雰囲気ではない。
結局、担当者から言われたことは、以下のように請求手続をしなさいということだ。
1)給与未払いの件
こちらで支払日を指定して内容証明で請求する。
給与未払いの時効は2年なのでそれまでに解決しないと難しいらしい。
2)退職金
我々が入社した当時の社員就業規則に従って内容証明で請求する。
退職金の時効は5年。
こうした手続をおこなっても支払わなければ、労働基準監督署へ曽根を呼びつけてやる、とかなり横柄な態度でご指導してくれた。
7月1日、労働基準監督署で言われたとおり、内容証明で請求することにした。
この内容証明を持って少し大きめの郵便局(小さいところだと受け付けてくれないことがあるため)へ行き、窓口に差し出して内容証明で送りたいと郵便局員に告げるとしげしげと文面を眺めた後、声を出して読み上げた。確認のためなんだろうが少々恥ずかしい。そしてハンコをポン、ポーンとついて無事手続は終わった。
この手続きが終わると、ついに戦いが始まったーッ!!という異常な興奮を今でも覚えている…。
給与未払い金請求書 私が在職中の平成九年四月一日から平成九年五月三十一日までの給与未払い金について、貴殿が平成九年五月十六日付けで指定した支払期日である平成九年六月二十一日を過ぎましても入金がなく、また再三の請求にも関わらず誠意ある回答がありません。 |
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退職金請求書 私が在籍していました昭和六十三年四月一日から平成九年五月三十一日までを労働期間とし、入社契約しました昭和六十三年四月一日時点での社員規則に従って、平成九年8月三十一日までに退職金をお支払い下さるよう、ご請求申し上げます。 |
7月14日、私は内容証明を郵送したことの報告と、他に何かやれることはないかを相談するため、再び労働基準監督署を訪れた。
応対してくれたのは前回と違って40代後半の声が大きい人だ。今回は、どういういきさつで給与の未払いが発生したのか?を初めから話せといわれた。話の分かる人なのか?と少々期待して、ことの経緯を説明した。
そして、「今すぐは忙しいので1週間後から調査を始めます」ということになり、さらに「次の方法もあるぞ」と教えてくれた。
1)支払命令を裁判所に申請する
この申請をして2週間後、イーストから異議がなければ強制差し押さえができる。異議申し立てがあったら裁判するしかない。
…この方法は使えそうだ。費用もそんなにかからないようだし。
2)刑事事件として監督署が調べる
これだと刑事責任に問えたとしても罰金しかないので、我々には1円も入ってこない。
…曽根にとっては、金を払うことの方が懲らしめたことになるだろうから、これは忘れることにしよう。
時効までは時間があるので、とりあえず労働基準監督署に任せてみることにした…。
7月30日、イーストの調査が開始されてるはずなのに労働基準監督署からは何一つ連絡がなかった…。
そこで、前回訪問した時に応対してくれた人に電話してみることにした。すると「担当は大竹という女性になりました」といって電話を替わった。
「調査の方はどうなってますか?」と電話に出た大竹女史に訪ねると、「現在調査中です。こちらもちゃんと調べてますし、何かあればこちらから連絡しますのでいちいち電話してこないで下さい!」とかなり高飛車な言い方をされた。ただ途中経過を聞いただけなのに、どーしてお役所の人間というのは、いかにも自分が偉いと言わんばかりの態度で一般市民に接するのだろうか?
それでも一応下手に出て色々聞いたところ、どうやら曽根が適当な言い訳をして、大竹女史とまともに話をしなかったようだ。そもそも、曽根という人間は権威というものにことのほか弱く、逆に女や子供にはめっぽう強い。まして高飛車な態度の女性では、気の短い曽根にとって逆効果だったようだ。
そうはいっても、公的機関を相手に、いつまでもいい加減なことはできないだろうから、もう少し大竹女史に任せることにした。最後に私は、「曽根は女性をナメテますから、あなたも強気で接した方がいいですよ」と忠告してあげた。
8月19日、相変わらず労働基準監督署からは連絡がない。「なぜ?2週間以上も経っているのに途中経過の一つも連絡してこないんですか!?ちゃんと調査してるの!?」と強い口調で問い合わせてみた。すると、少々疲れた声で、「曽根さんが不在だったり、電話に出ても払う必要がないと言われた」と、まるで子供の遣いのような返事だった。
実は面倒なことが起きていたのだ。隠岐が自分の持株51%を行使して、曽根を6月27日付で代表取締役社長から解任し、三島を代わりの代表取締役に登記したのだ。もちろん同時に木藤も役員を解任されている。まだイーストではこんな事をしているのだ。
しかし、曽根社長は労働基準監督署に「私は社長じゃないので三島に話をしてくれ」と間抜けな言い訳をしていたようだ。そう言われてしまうと、大竹女史としても誰が正式な社長なのかを調べなきゃいけないのでそれにも時間がかかっていた。
8月26日、こちらで調べたところ、7月8日付(登記は8月25日)で曽根が代表取締役に復帰していた。これにはカラクリがある。代表印は隠岐が持っているし、曽根はイースト株をほとんど持っていないのに、勝手に株主総会と称して役員を入れ替えたのだ。
社員が今更隠岐の言うことを聞くわけがないし、倒産も時間の問題だということで、隠岐はこの件を放っておいた。
そこで、前回は曽根が社長でなくなったと逃げたが、今度はそうはいかないということを教えてやろうと、大竹女史へ電話した。私は、ことの経緯を説明し、これからは曽根にもっと厳しく接するようにと忠告したのだが、どうも歯切れが悪い。大竹女史も嫌になってきた様子だ。
もともと曽根がまともに取り合わないことは予想していたが、こんなにも情けない事になるとは思わなかった。「じゃーどうすればいいんですか?監督署へ曽根を呼び出して話を聞くことはできるんじゃないですか?」と一番最初に話を聞いてくれた初老の監督署職員の話をした。すると、実は大竹女史も呼び出そうと曽根に出頭命令を出したが、忙しいことを理由に出頭を拒否しているようなのだ。
「つまり、悪質な会社を取り締まるべき労働基準監督署からの命令に背いているわけですね。ということはイーストが悪質な会社だという事は『これではっきりわかった』でしょ?さっさと監査して捕まえたらどうですか?それが労働基準監督署の使命でしょ!!」と私は大竹女史の不甲斐なさを追求するように怒鳴ってやった。
「う〜ん…でもそれはぁ…」と、自分ではどうしようもないから、こちらにあきらめてくれないか?という雰囲気タップリに言葉を濁した…。
これだけでも相当頭にきていた私だったが、ここは一つ頭を切り替えて、「じゃ、今まで曽根に対して行った調査内容の詳細を書類でくれ」と頼んだ。これは最終的に、裁判ということになった時の証拠として残そうと考えたからだ。
「それはできません、口頭で説明することはできますが」と予想もしていない答えが大竹女史から返ってきた。
「今まで曽根さんに電話した記録は日時までメモしてありますが、それはあくまで署内の資料ですのでお渡しすることはできません」とハッキリ断ってきた。これは裁判の証拠として使うという目的であっても出せないらしい。
「ということは、ホンマはあんた何も調べようとしてへんのに『一生懸命調べてます』といってるだけなんやね?調査しとるという証拠がないわけやからね。まったくエェー商売やなぁ…」と、本来の関西訛りで半分バカにした言い方をしてやった。
「本当にちゃんと調べてます!」と彼女も自分のことを言われるのは気に入らないらしい?
そこでもう一度、「イーストは出頭命令を無視しよった。これは労働基準監督署の監督不行届以外の何もんでもないんやから、あんたもキチンと指導してやらんとあかんやろ?それに不当な扱いを受けた労働者を悪徳会社から守るのが、税金でメシ食うとる『天下の労働基準監督署様の仕事』やしなぁ…」と話を蒸し返した。
すると、「労働基準監督署は労働者の味方ではありません」とこれまたキッパリ言い捨てよった。
話の流れを説明したかったのでダラダラと長くなってしまったが、まとめると、
・労働基準監督署は、調査しているフリだけで実はまったく何もやってない可能性がある。
・労働基準監督署は、調査の内容を公表しない。
・悪徳会社側は労働基準監督署からの命令等を無視しても罪に問われることはない(例えば、出頭命令を無視すればそれ以上調査が進まないため労働基準監督署も罪に問えない)。
・労働基準監督署は、労働基準法違反が発覚したとしても自らそれを告発することはない(社会的意義が大きい場合は知らないが…)。
という、労働基準監督署には何の権限もないので、頼むだけムダということがハッキリわかった(納得したわけではないが)。
この話を和田さんに電話で連絡した。
やはり、労働基準監督署はなぜ何もできないのか?ということを疑問に思ったらしいが、私も納得しているわけではないのでうまく説明できない。
「とにかく何もしないのだ」と言うと、和田さんから「もう一度大竹さんに聞いてみる」と言って電話を切った。
1時間ほどして和田さんから電話が入った。私と同じ説明を受け、納得できずにイライラした口調だが、ある覚悟を決めていた。
それは裁判所へ届け出るということだ。
労働基準監督署でダメなら裁判所しかないということを大竹女史から聞き出し、結局それしか方法がないということで納得するしかなかった。
それにしても、こんなに早く裁判所に行き着くとは思わなかった。労働基準法に違反する会社があれば、それを取り締まる公的機関の労働基準監督署に届ければ良いとばかり思っていたが、それが何の解決もないまま、いきなり裁判所という最後の砦になるとは…。
何度も言うが、賃金、退職金の未払いに関して、労働基準監督署はクソの役にも立たない!!ということを覚えておいていただきたい。
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