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1996年11月。死んだようになっている私に1本の電話があった。
「久しぶり、和田君。元気かい?」…鈴木建設の高木さんだ。そう、私と供にDrawingを開発指揮してきた人で、現在は鈴木建設のCAD室長をやっている。
「どうだい、Drawingは…Windowsにのったかい?」と受話器の向こうから声が聞こえてきている。
この時期の私は仕事なんてしていない。仕事をすれば、隠岐会長の懐が肥えると思うと仕事なんてする気になれない。
そこで、「いいえ、全然進んでいませんよ」と返答するしかなかった。事実だからしょうがない。
「なんだよ、なにやっているの?」と高木さんの声はまだ続く。
「はぁ…、私はもう駄目ですね。すみません期待にこたえられなくて…」と弱気な発言をしてしまった。
高木さんはDrawingが好きだ。その未来にも期待している。私とDrawingの夢を語り合ったりもした。
「おいおい和田ちゃん、頼むよ…どうしたんだい?」
私は社内の事情を話すわけにもいかないので、「ええ、最近滅入っているんですよ。一種の病気みたいに…」と返答した。
すると高木さんは、「隠岐の事だね?」と私にストレートパンチを入れてきたのだ。
「ええ、まぁ…そんなところです」
私は力無く返答した。正解ですよという気持ちを匂わせての返答だ。
「その問題については情報を得ているよ。そのうちにある人から連絡が入るから…」
「もう、湯川君には話が通っているから、詳しい事は彼から聞いてよ」
そう言うと高木さんは電話を切った。
そうなんだ…高木さんは事情を知っていて電話をしてきたんだ。
私はこのとき何か別の歯車が回転し始めたことを感じた。
湯川の話…。
高木さんの電話後、1週間ぐらい湯川とのやり取りがあったが、要約すると以下の事らしい。
クリエイトの発足時に経理のアルバイトに白須順子と言う人物がいた。
この女性は鈴木建設の人から紹介、というよりコネでクリエイトの経理として参加していたのだ。待遇はアルバイト扱い。私も湯川も、何となく事情を知っていた。
もちろん、隠岐会長はその事実を知っていたらしい。当時としては、鈴木建設に良い顔をしたくて引き受けたのだろう。
この白須順子という人物は銀座で開業医をしている人物の娘で、その開業医は鈴木建設のある人物と懇意という事だ。
隠岐会長が、どこまで彼女の事を知っていたのか?は想像できないが、この白須さんは経理を担当していた。もちろん必然的に隠岐会長の経理粉飾を知っている事となる。
つまり、隠岐会長の悪事は間接的に鈴木建設の情報源となっていたということだ。
隠岐会長は、情報漏洩を疑っていなかったのだろうか?
おそらく、アルバイトとして雇用を続けているので疑っていないのだろう。鈴木建設との関係がこじれても、白須さんに対する待遇に変化はなかった…。
湯川の話は続く…。
とにかく、その白須順子さんは私達の味方らしい。
彼女は、彼女の父親に隠岐会長の経理の手口を漏らしていた。
その情報は鈴木建設を経て、高木さんにも伝わっていたのだ。それで電話をしてきたのだろう。
最初、彼女のアルバイトの理由は単純だった。本当に軽い気持ちでアルバイトを始めたようだ。
隠岐会長も雇う事に問題は無かったようだ。
しかし、彼女のもたらす情報は鈴木建設を仰天させた。鈴木建設の振り出した金は隠岐会長に吸いこまれているからだ。
これ以降の経過は既に記したので深く追求しない。
さて、この話の先の展開だが…、どうやら彼女の父親が、私と湯川を救いたいという事らしい。
隠岐会長の下で腐っていく私達が気の毒らしいのだ。どう言うわけか不思議な事に…。
また鈴木建設のDrawing支持者にとっても気になることらしいのだ。鈴木建設では社の方針としてDrawingを切った。
要するに鈴木建設では、Drawingに金をかけないという事だ。そうなると、Drawing支持者は、外(私達)に期待するしか無いという事だろう。
そして、その私達は腐りかけている…。
もしかしたら、この話のバックに鈴木建設が関与しているかもしれない。
どうやら、妙な同情と期待が私と湯川の運命を試し始めた。
それから数日後、湯川から電話が入った。銀座で極秘会議があるから東京に来てくれという事だ。
そして当日…。
銀座の千疋屋3階。私と湯川はボーイに案内されテーブルへ座った。どうやら、ディナーを食しながら話が始まるらしい。
出席者は、白須さんと高峰さん。私にとって、どちらも初対面だった。湯川は以前に会ったことがあるらしい。
白須さんは銀座で開業医を営んでいて、クリエイトには娘がアルバイトに来ている。
高峰さんは幕末に活躍した人物の孫にあたり、現在は膨大な敷地内にある、某保養施設の管理をしている。この幕末の有名人は私の尊敬する人でもあり、誰でも学校で教わるほどの有名人だ。それを聞いて私は少し感動した。思わずツンツンしたくなる。
高峰さんは白須さんの友人らしく、私達に協力したいとのことだ。
お互いの自己紹介が終わると、ボーイがメニューをもってきた。かたわらで高峰さんがワインのテーストをしている。
食事の注文が済むと、話は白須さんの娘(白須順子)が得た情報の一切を私達に公表する事から始まった。
このときの話で、隠岐会長の私生活にも会社の金を流用していると判明。またイーストとクリエイトが間借りしている、あすかビルのオーナーと結託してマージンを搾取している話も出た。以前に東海林社長が話した通りだった。
帳簿上で大きなウエイトがあるのは、経営指導料だ。
次がイーストもクリエイトも隠岐会長のセンチュリーから仕入れを行っている中間マージン。
そして、隠岐会長だけの役員報酬(他の役員は無報酬)や家賃となる。
帳簿は2つ存在しており、表向きの帳簿はその時の都合で、センチュリーとイーストとクリエイトそしてニュートラルの間を数字が行ったり来たりしている。
裏の帳簿は松本公認会計士が握っており、白須順子さんもめったに見られないという。
食事の最中は雑談で過ぎていった。隠岐会長の悪事に付いての情報交換のような雰囲気だ。
一通り食事が終わり、テーブルの上が綺麗になると、白須さんが金の動きを整理した資料を幾つか出してきた。
経営指導料はイーストとクリエイトから月々200万円づつ、計400万円を隠岐会長のセンチュリーに納めている。イーストは既に6,000万円、クリエイトは1,200万円吸収されている。両社で7,000万円近い。
仕入れと備品マージンはイーストが2,500万円、クリエイトが600万円。名目は手数料となっている。
地代家賃は隠岐会長の会社(センチュリーとニュートラル)と、ビル内にある隠岐会長のマンション(自宅は別にある)の費用をイーストとクリエイトが負担している。また隠岐会長だけにある役員報酬、その他の雑費もそうだ。
交際費(名目上)もイーストとクリエイトを合わせると2,000万円に近い。例のスナックの経費なのだろうか?
更にイーストはクリエイトから4,000万円を借用している事になっており、クリエイトはイーストから4,800万円を借用している。
この金は都合の良いように解釈され、隠岐会長がイーストを恫喝するときには、クリエイトに借金があるだろ?と言い、逆にクリエイトを恫喝するときには、イーストに借金があるだろ?と言う。つまり帳簿上のマジックで、いつでも都合の良いように操作できる数字だ。
センチュリーに入った金の使われ方は不明である。今になっても行方不明なのである。センチュリーの決算も際立っていない。
想像では隠岐会長とブレーン達の所得となっていると思われるが、あくまで想像である。
つまり、センチュリー以降の金の管理は松本公認会計士だけが知っている。
「まるで寄生虫だね…」と、一部始終を聞いていた高峰さんがつぶやいた。
すると、白須さんが私達に尋ねてきた。
「君達が一生懸命に働いても隠岐を太らせるだけだよ、利用価値が無くなったらポイさ。君達はこんな所に居て駄目になっていくのかい?」
そんなことは言われなくても十分わかっている。
寄生虫っていうのは、本体を殺さないように生き長らえる。しかし、だからと言って、私達に何が出来るのだろう?
会社を辞める事はいつでも出来る。だが、私も湯川も負けて会社を去るというイメージにこだわるのだ。
しかし、だからと言って、私達に何が出来るのだろう…?
「別に俺は会社を辞めても良いよ、ただ隠岐に負けたというのが嫌なんよ。和田さんもそうでしょ?」
やはり湯川も私と同じことを考えている。私は同意の相槌をした。
「君達は小さいよ、そんな事で勝っただの負けたのと…。君達は才能があると鈴木建設の人から聞いている。娘も残念がっている。何故あの人達はいつまで会社に居るんだろう?ってね」
白須さんが笑いながら答えた。
今度は高峰さんが言う。
「君達、信頼と信用って知っているかい?信頼っていうのは信じて頼る事なんだ。信用っていうのは信じて用いる…この違いがわかるかね?君達は信頼に甘えているんだよ」
…図星だった。
今まで流されてきた理由がそうだ。どこか人に頼っているから信じようと思ってしまう。逆も真だ。信じたから頼ろうとも心の底で思っていた。
また、何でも自分で解決しようとする部分がどこかにある。信じて用いるぐらいなら自分でしようという悪い癖だ。それは遠まわしに勝ち負けにこだわるのだ。
考えようによっては、どのようにも解釈できる言葉なのかもしれない。しかし、私は高峰さんの言葉を現在の自分に置き換えて解釈してみた。
隠岐会長に文句を言おうが、隠岐会長の下にいるんじゃ何の役にも立たない。
私は組織の内部で改革する方針を採ってきた。しかし隠岐会長と木藤社長の前では空しい結果ばかりだった。それでも自身の地位が保たれているので流されてきた。
少なくとも自分の責任が薄まる分、上の人達に頼ってきた事となる。
ではどうすれば良いのか?
答えは簡単、自分で責任のある立場になれば良いのだ。信じて人を使う立場になれば良いのだ。つまり、信用だ。
確かに、勝った負けたの理由で会社を去るっていうのは人間が小さい。自分の目標を持って会社を辞めるっていうのがカッコイイ。
しかし、私と湯川で何が出来るんだ?
会社を興すにしても資金が無い。そう、毎日飲んだくれているから何も残っていない。
私はしばらく考えた後、「私達には何も無いですよ…」と返答した。
「いや、君達には才能がある。和田君の開発力と湯川君の営業力があるじゃないか」と白須さんが答えた。
すると湯川が、「それは良〜くわかっています。ただ先立つものが…」と笑いをとった。こんなとき関西人が居てくれると助かる。
「ははは…、問題は君達にやる気があるかどうかだよ。何なら資金を出そうか?」
こんなやり取りが和やかな雰囲気の中でしばらく続いて会議は終わった。
私と湯川は白須さんと高峰さんと別れた後、2人で銀座のバーに行って、今後の身の振り方について話し合った。
もちろん翌日はフラフラになるほど飲んだ事はいうまでも無い。
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