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1996年の夏、最悪だった。
技術者として考える事も無い、管理者として考える事も無い。毎日が意味の無いシミュレーションだ。
木藤専務に言われたDrawingの説明図も書いてない。新人社員を指導する事にも疲れた…。
新しい仕事がきても、できませんと答えた。できませんという言葉は毎日を簡単にさせるとは知らなかった。
みんな簡単に使用するわけだ。
私の率いる地方営業所には5名の人材がいる。筆頭は例の何の役にも立たない中野英治だ。
彼はイーストの誰もが見限り、そして私の下にやってきた。思えば彼には本当に苦労させられた。
仕事ができない程度ならまだ良い。通常の社会生活全般からして落ちこぼれだ。
私は彼に、地方事務所にいる若い社員のまとめ役ぐらいにはなって欲しいと彼に切望していた。
技術力では若い社員に負けてしまうからだ。なんとか彼に自信を与えてやりたかった。しかし、2年にも及ぶ指導でも大した成長は無かった。
能力によって正当な評価をするを基本柱にしている私は、若い社員と中野英治を同じ役職の主任に任命していた。中野英治にとっては降格人事になる。
だが決定は間違っていなかった。中野英治が上司では若い社員の中に矛盾が生じてしまう。これは仕方の無い事だ。
それでも、私は自分の身を削ってまで彼を辛抱強く指導していた。
だが、それも疲れた…。
何故?私ばかりが一生懸命やらねば行けないの?と現実逃避をし、安易な道で定住しようとさえ思った。
このまま隠岐会長にうまく取り入って定年を迎えるまで安住しようとも思った。木藤社長の手口だ。
ボーナスは極端に少ないけれど、給与はそこそこある。全く楽な人生じゃないか…。
1996年9月、私は中野英治主任に、「あなたはソフト業界には向いていないよ。この営業所もあなたがいると荷物になっている」と告げ、最後通告を迫った形になった。彼が仕事の穴をあけたので叱っているときだ。
今まで何らかの長所を見つけようとしてきた私も、彼の負担に耐えられなくなったのだ。いや、私自身が仕事に対しての情熱を失った事も一因だ。つまり、面倒になったという事だ。
翌日から彼は2日間無断欠勤をした。そして、休日となる土日を迎えた。
開けて月曜日、私が出社すると彼の机の上には何も無かった。彼の私物も全て持ち去られていた。
そこへ若い社員が来て言った。
「和田さん、僕が日曜日に出社したら中野さんが部屋にいて、私が居たんじゃ会社のためにならないよと言って、これを渡しました」
それは退職届だった。私は迷わず受理する事にし、木藤社長に電話で報告した。
木藤社長は、「どうせ、あいつは駄目だろう?」と言って笑っていた。
私は2年にも及ぶ彼への指導が瓦解した事のショックのほうが大きかった。徒労…。そして私は更にふさぎこんだのだった。
憂鬱な日々が過ぎていく中、私は残った部下達4名に会社(イースト・クリエイト)の現状と隠岐会長の事を話した。
地方営業所は私でもっている。その私が会社に対して疑問を持ってしまったのでは、従っている部下達に悪いからだ。彼らはまだ20歳前後で若い。将来があるのだ。いつどうなるのか?先の見えない会社に留まるには危険が多すぎる。
本来ならば、会社をどうにかできる立場にいる私が何かをしなければいけないのだろう。しかし実際の問題として何も出来ないのだ。いや、知恵が浮かばないのだ。
私は部下達に会社に残っても先が無いと退社を促した。
クリエイトはこの4月に発足したばかりだ。しかし、私は9月になると見切りをつけていた。
最初は、どうせ騙されたつもりだったが、本当に騙されているとわかるのに時間がかからなかった。…そうではない。隠岐会長のやっている事に目をふさげば騙されていることにはならない。
だが、許せないのだ。隠岐会長の下に身を埋めてしまっては一生、操り人形だ。将来も隠岐会長の気分でどうなるのかもわからない。私は、そのような環境下ではついて行けないという事だ。
1996年の冬になるまでに私の部下2名が会社を去った。
一方、隠岐会長と木藤社長は調子に乗っていた。
木藤社長もつかの間の春を感じていた。何故なら隠岐会長という強い個性に引っ張られているので、自分で考え行動をしなくて済むからだ。
時々、隠岐会長に助言らしき事を言って自ら満足している。だが、水中の石でも存在するだけで危険だ。
1996年10月。木藤専務が私と湯川を誘ってスナックにのみに行った。鏡張りの広いホールの中には女性が何人か居て接客をしてくれる。
木藤社長は何か秘密を隠しているらしく、いつにも無くニヤニヤしている。
ホールには長い椅子の席が3箇所あり、ホールの隅にはカウンターがある。天井にはミラーボールが決まり事のように回っている。
木藤社長は私達を席に着かせるとカウンターに入って行き、「何を飲む?」なんて聞いてくる。
「和田君は強いカクテルが良いよね?」なんて勝手にカチャカチャやり始めた。
「木藤さん、何を始めるんやろ?」
湯川が私に質問してきたが、私にわかるわけが無い。
しばらくすると、私達のカクテルと一緒にフルーツの盛り合わせが出てきて、席に着いていた女性に「この人達は会社の部下だよ」なんて話し始めた。
普段スナックに飲みに行っても、私や湯川の勢いに押されている木藤社長が今日は雄弁だ。
そして、やっと場が落ち付いてきたときに木藤社長が、ここは隠岐会長と僕の店だよと語った。
私達はさして驚いた表情は出さずに、「へー、そうなんだ」と答えた。もう、むちゃくちゃなので少しの事には動揺しなくなっている。
つまり、イーストとクリエイトから搾取した金で隠岐会長が、どこかのスナックでも買い取ったんだろう。
木藤社長は、「僕は前からバーテンダーをしたかったって和田君にも話していたよね?」と得意そうだ。
「隠岐会長が店を出してくれたんだよ」と木藤社長は更に続けた。
「なりたかったのはホテルのオーナーでしょ?」と私はひねくれてやった。木藤社長が普段言っていることだ。
湯川は「木藤さん、女の子のサービスが悪いよ」と言っている。
こうなったら私も妬けだ。「アイスクリームの大きいやつは無いの?」とおちゃらけた。
こんな事実をイーストの社員が知ったら卒倒するだろうなぁと、私は考えざるを得なかった。
イーストの社員は給与を削られてまで仕事を強いられている。曽根社長は毎日青くなりながら、金策と顧客を求めて走り回っている。
それなのに、この親父たち(隠岐会長と木藤社長)は何を考えているのだろう?とも考えてしまった。
木藤社長はクリエイトが順調だと思っている。しかし私や湯川は終わりだと思っている。
「木藤さん、普段は誰がこの店に居るの?」と聞くと、「ああ、いつもは雇われママさんが居るよ」と答えてきた。
はは〜ん、わかった。隠岐会長がどこかのスナックのママを口説いて店を出してやったな。いわゆるパトロンってやつだ。
木藤社長は隠岐会長の腰巾着なので、普段このスナックで大きな顔をしているんだろう。
そして今日の隠岐会長は出張扱いだ。…とすると、ママも居ないのだろう。そしてその間、木藤社長は店を任されて喜んでいるんだな…。
後日、木藤社長から知った真相はこうだ。
結論から言うとほぼ想像通りなので呆れてしまう。しかも事実は想像より情けない。
このスナックのママは、イーストの社長である曽根社長が夢中になっていたママで、金も無いのに前いたママの店に良く通っていたらしい。
ところが途中から隠岐会長が加わり、話がややこしくなったのだ。そして隠岐会長はそのママに店を辞めさせ、自分の出資した店に雇い入れたと言う事だ。
曽根社長は、私達が行った隠岐会長の店に入ることさえ拒否され、ママと会えなくなった。
もちろん隠岐会長自身も店を持ちたかった理由もあるのだが、やっている事は本当に情けない…。隠岐会長は曽根社長の全てを奪おうとしているのか?金を使っている分、子供の喧嘩より程度が低い話だ。
後に曽根社長が隠岐会長に反抗した時、隠岐会長は曽根社長の奥さんに、亭主はこんな女性にちょっかいを出していたという嫌がらせの手紙を数通送った。
鈴木建設との一件のように、隠岐会長は嫌がらせの手紙を送るのが好きなようだ。
とは言え、隠岐会長がスナックに出資した事は事実だ。イーストとクリエイトから吸い上げた金で…。
全く隠岐会長の悪事を聞くたびに憂鬱になる。
はっきり言って思考を停止したほうが楽だと思える。木藤社長のように振舞うのが正解だとも思える。
なんだかんだ言っても隠岐会長の権限は絶大で、揺るぎが無いように思えるからだ。
それは株式を51%握っているということや、商法とかの法律に強いということや、経理を押さえているということの事実からだ。
しかし、待てよ?
それは本当に揺るぎ無いものなのか?
隠岐会長個人のために働く…いや、会社は皆で発展させて、1人でできない大きな利益を皆で分けるためにあるんじゃないのか?
半分の持ち株で会社全体を動かせる…51%の株式ってそんなに絶対なのか?じゃ、残りの半分の人はどうなる?
その前に、勝手に給与や退職金ってカットできるの?
またまた憂鬱になる…。
まったくもって最近はこんな事の繰り返しだ…。
世の中には、うつ病ってのがある。
私の場合、うつ状態に入っても1日あれば復活できるはずだった。しかし今回、人生を通して初めて出口の見えない世界に突入した。
そもそも、うつ状態ってなんだろう?
とにかく、何をするにも面倒なのだ。頭の中のシミュレーションが勝手に進行して、実際に動作をする前に結論らしきものが見えてしまう。結論が見えるので、行動しなくても済むと思ってしまう。行動する事によって、たいした事じゃないとか、やるだけ無駄とかの答えを事前に想像している。
何度シミュレーションをしても、答えは良い結果にならない。そして、面倒だと思ってしまうのだ。
面倒なんだから、人に会う事も面白くない。面倒なんだから、外にも出たくない。
マイナス思考ってのはこういう事だろう。ちなみに私は、反対のプラス思考はプラス指向っていう文字のほうが好きだ。
私は一度だけ遊びで、抗ウツ剤というのを飲んだ事がある。
飲んだ感想は、頭の中でシミュレーションを始めると途中で、まぁ、良いかぁ…となる感じである。シミュレーションが持続しない感じだ。
ずっと同じ事を考えつづける動作が持続しないのだ。よって、面倒だという考えに至る前に考えをやめてしまう。
システムを設計する事は、ずっとシステムをシミュレーションすることでもある。
ある意味、システムに対して、うつ状態になるのがシステム屋の仕事のような気がする。角度を変えてみると、うつの転化は表裏一体なのだろうか?
何かを創造することを最終目標にすると、うつじゃなくて、何も生み出さないことが見えると、うつなんだろうか?
いや、そうでもない。何も生み出さないという結論を無意識に選択してしまう事なんだろう。頭のどこかに否定というマイナス部分があって思考を始めてしまう。
隠岐会長の下では誰もがうつ状態だ。会社そのものも、うつ状態に見える。会社の照明が薄暗く感じる。まるで、夕立の日の照明のようだ。
憂鬱な日々は外部から刺激を受けないと脱出できない事態になっているようだ。
もはや思考の一方通行では、自身で解決できないのであろう…。
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