第四章


イースト救済計画

吉田賢治 イースト専務金庫 1995年も秋になろうとするとき、数々の疑問を隠岐会長に投げかけてきた吉田専務が動いた。
そこでまず、イーストがどのような状態に置かれているか検証したいと思う。
隠岐会長はイーストを株式51%と供に手に入れるとき、曽根社長から会社の実印を取り上げ、自分の会社の大きな金庫に封印した。
この実印が会社の意思決定を対外的にする場合は必要で、会社の取引(契約)は実印を押す事によって成立する。
その実印を取り上げられた曽根社長には何の権限も無いのだ。

 また、隠岐会長は経営指導料という名目で、月々200万円の金を自分の会社に振込んでいた。
さらに高額な役員報酬を自分で搾取していた。曽根社長と木藤専務は無報酬である。イーストの資金調達と相殺されていたらしい。
これだけではない、イーストで行う取引は隠岐会長の会社を通さないと取引できない仕組みにし、マージンの搾取。イーストは実印も無いので従うしかない。
隠岐敬一郎 センチュリー会長イースト事務所の家賃をイースト引越し先の大屋と相談して中間搾取。
隠岐会長所有の車はイーストの社用車として購入。
隠岐会長が入院したときなど、病院の個室費用から自分の専用ベッドまでイーストの金を捻出していた。
さらに、彼の奥さんの会社運用費から娘の学費まで…。
隠岐会長の会社、センチュリーと奥さんの会社ニュートラル、それにイーストの間を帳簿上では数字が行ったり来たりして訳がわからなくなっている。
したがって、イーストの純益は巧妙に粉飾されていた。鈴木建設の支援費用1億円やDrawingの売上、さらに出向によってもたらされた金額、等々…。結果として、イーストの決算は±0というミラクルとなった。
隠岐会長は、「私の尽力でマイナス決算にならなかった」と言い放ったが、吉田専務を含む私達はプラスにもならない決算に疑問を持った。

 特に曽根社長木藤専務は、隠岐会長の作成したわけのわからない書類に判を押し、イーストの連帯保証人にさせられていた。
何故?見境も無く判を押すのか私には理解できないが、曽根社長は隠岐会長(含む東海林社長)紹介のサラ金数社からも借金をした。土下座するときに「取立ては怖いよ」と隠岐会長から脅されていたにもかかわらずだ。
 しかし、隠岐会長は資金調達の手口がうまい。と言うより色々な方法を知っているのだ。
国の公的機関から資金調達する方法、金融機関から調達する方法、社債の発行…など、そしてその保証人に曽根社長と木藤専務が押し付けられていく。特に金融ローンは簡単に金を貸してくれるようだった。
どうやら隠岐会長と関わりあうと、皆個人的に借金が膨らんでいき、最後には隠岐会長から離れられなくさせられるようだ。

池田幸一弁護士 話を戻して、1995年の秋…。
上記で示した隠岐会長の事実は、当時としては疑惑の段階であった。
その疑惑を解明するために吉田専務が動いたのだ。
吉田専務は腰の引けている曽根社長を、やっとその気にさせ、1人の弁護士を雇い入れた(月々30万円と聞いている)。その弁護士は吉田専務の紹介で名を池田弁護士
2人は池田弁護士に相談し、隠岐会長の不正を切実に訴え行動に出たのだった。
そして池田弁護士を交えた3人は隠岐会長のところに意気揚々と乗り込んでいったのである。
 しかし、結果は悲惨な事に…。
隠岐会長は曽根社長が雇い入れた池田弁護士相手に動じることなく、「社内の問題に外部が口出しするのはおかしい」と言ってのけた。
さらに、「私が不正をしている証拠でもあるのか?」と切り返したのだった。
 後年、この曽根社長が雇い入れた池田弁護士相手に私と湯川も裁判を争ったのだが、池田弁護士はいわゆる能力の無い人だったのだ。
しかも輪をかけて、曽根社長もプライドのためか、本当の事実を微妙に隠して池田弁護士に相談していたのだ。
それは後に展開する私達との裁判で明らかになるのだが、隠岐会長との接見においても池田弁護士は完全に見下された。
そりゃそうだ、隠岐会長が扱っている経理文書は、隠岐会長の旧友である松本会計事務所が会計を行っているのだ。
この松本会計士は兄弟揃って有名な会計士で、有名著名人御用達の会計士である。
しかも、もう1人有名な弁護士も控えている。名を三谷弁護士とい言い、彼は「コンピュータの著作権関連の本」を出版しているほど業界では名が通っている。
松本会計士と三谷弁護士が実質的な隠岐会長のブレーンでもある。
三島真一 イースト社長その松本会計士が作成した決算書にぬかりがあるわけが無く、それに自信を持っている隠岐会長が、曽根社長や池田弁護士をあしらうには十分だったのだろう。
私は未だに理解できない事がある…。それは不正を正すべく職業の人たちが悪事に荷担するために知恵を貸す行為だ。しかも多少なりとも名の通っている人達がだ…。

 とにかく、スゴスゴと負け犬のように引き下がった曽根社長と吉田専務は、行き場の無い憤りを宙に投げるしかなかった。
私や湯川は、この時期はまだ早いと感じていただけに、予想通りの展開に、やはりなぁ…と思うしかなかったのである。
そんなある日、イーストの社長は2人になった。
共同代表というやつだ。これは社長が2人いる体制で、2人の合意が無ければ何も実行できないのだ。もう1人の社長は隠岐会長が見つけてきた。
もちろん、隠岐会長が連れてきたもう1人の社長は隠岐会長の息がかかっている。名を三島真一という。
未だにこの三島社長の詳細は不明であるが、彼は隠岐会長が出入りしている某宗教の会所で知り合い、過去に「日本UNIPARK」というコンピュータ会社の役員なのか部長なのかを歴任したらしいという事しかわからない。
見た目は、如何にも宗教をしていますっていう風貌と物腰が特徴である。
隠岐会長は三島社長を前面に押したてて、イーストが曽根社長から三島社長に移りつつある事を内外に印象付けた。
また共同代表制だが、それは見かけだけで、誰の目にも隠岐会長と三島社長のラインは明白であった。つまり、曽根社長は本当にお飾りになったという事だ。

 一方そのころ、木藤専務は私と湯川にある相談を持ちかけていた。
木藤浩次 イースト専務木藤専務の話によると、隠岐会長はイーストに借金をさせるだけさせて潰すつもりだと言うのだ。
そして、その責任は曽根社長1人に被せると…そのために、イーストの借金を曽根社長に移し変えているとも…。
なるほど、当時としてはもっともな理由だ。現に隠岐会長の1996年のセンチュリーグループ予定表の中にイーストの名前が無かった。イーストを無視し始めていたのだ。
木藤専務曰く、「会社をこんなにした曽根社長には責任を取ってもらって、借金を負ってもらおう」と言うのだ。
 問題なのは、現在イーストに留まっている社員だ。
「彼らには罪が無いんじゃない?」と私と湯川は他人事のように木藤専務に言った。
私と湯川は、別に会社がどうなろうと困りはしない性格なのだ。
「でも、大谷とか徳田とか優秀な人間は助けたいね…使えない社員はどうでも良いけど…」と私が言う。
すると木藤専務が、「和田君、会社を設立する話があるんだよ」と進言してきた。
「そろそろ株式が1,000万円になるでしょ、そのときに私と曽根社長で作ってある休眠会社があるからそれを使うんだよ」と言い始めた。
続けて「その会社をイースト社員の受け皿会社として軌道に乗せれば良いんだよ」と木藤専務。
「隠岐会長にはどうするの?」と湯川が言うと「隠岐会長には了解を取ってある、僕が社長で役員はDrawingの協力者たちだよ」と木藤専務は答えた。
和田信也 イースト部長その役員達の名前を聞くと、なるほど私の知っている人たちの名前だ。
中には鈴木建設の人の名前もある。
 木藤専務もとりあえず何か考えているんだな…と理解した私達は話が具体化するまで待つ事にした。
どうせ、木藤専務の言っている事は実現した事が無いからだ。
でも、イーストを潰すという木藤専務の情報には信憑性がある。金を搾取するだけ搾取して曽根社長に借金を負わせ、はい、さよならだ。
隠岐会長は実質的にイーストの裏に回っていて表に出ていないし…。おそらく、新任の三島社長を上手に使い計画倒産だろう。
決して、曽根社長と吉田専務の攻撃があったから共同代表にしたのではないのだ。
そんな事は隠岐会長にとって蚊に刺された程度のことでしかない。最初から、こうなるように計算されていたのだろう。

 隠岐会長の思惑と曽根社長(吉田専務)の思惑と木藤専務(私と湯川)の思惑が互いに交差しながら1996年に突入していったのだ。
いや、思惑のように見えていただけかもしれないのだが…。


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