第三章


営業所設立

 地元に新設する事務所の備品は横浜にあった事務所の備品が充てられた。
そう、横浜の事務所を閉鎖したのである。
どうせ、横浜の事務所は使用していないし、目的も不明だったので当然かもしれない。
それから、本社事務所や技術部事務所で不用になった備品も運び込んだ。
ロッカー、パソコンディスク、マガジンラック、本棚等…。
私はコンピュータ雑誌を実費で購入していた。月に2〜3万円程度の出費だ。
何故なら、会社経費で購入すると自分の本にならないからだ。
和田信也 イースト部長 会社の本棚にあるコンピュータ関連の本は、ほとんど私の私物だ。
誰もコンピュータの本を買おうとしないためだ。
プログラマーとしてそれで良いのだろうか?と私はいつも思っていた。
新しい技術やロジック等、常に研究実践をするのが技術者の道を選んだものの定めだ。
特に若いうちはそうでなければいけないはずだ。
それなのに、日々同じ事の繰り返しに頼って設計開発しているようでは、社員の程度も知れるというものだ。
これは私が繰り返し警告していたことだ。
とにかく私が去るとき、私物の本を引き払うと社内の本は本棚1つになってしまった。しかもまばらにある程度。
それまでの本棚は6つあった。そう、私の本は高さ2mのスチール製の本棚に5つあったのだ。

 事務所には地元のマンションの1部屋が充てられた。
和田信也 事務所家賃は10万円程度だ。さすが物価が違う。
作業に使える全フロア−は板張りで、35畳ほどある。十分な広さだ。
マンションのオーナーは地元の代議士の愛人が管理している。
そこに、備品を運び込むといっぱしの事務所だ。
特に本棚の数が多い。
先の私物の参考書もそうだが、私の携わった仕事のドキュメントも相当数になっていた。
その本棚数は全部で10以上。
Drawingの長井チームはドキュメントも残さないので、本社事務所はガランとしたことだろう。
本当に彼らは仕事をしているのだろうか?
 とにかく、コピー機やFAX、もちろんパソコン等を配置して事務所は完成だ。
地元で新人を雇用するまで私一人の事務所として出発を果たした。

 事務所の数は4つだ。会社の固定費の心配が私にあった。
しかし、地方事務所ということで東京よりは安く済む。
それより、イーストに毒されない優秀な社員を育成することもできる。
次の目標は地方営業所、本社計画だ。そのころ本気で、できると思っていた。
その後の展開を考えると、私もまだまだ甘かったようだ…。

 新事務所での仕事は、既に紹介した業界のモルモット企業からの依頼の続きだ。
つまり、更に継続してプログラムを書いてくれということになった。
どうやら先のシステムの評判が良かったらしい。
システムに使用する機械はレーザーを使用するので、特殊な運搬車でなければ移動できない。
東京からトレーラーで機械を運び込み、マンションのドアを外して搬入した。大きいのだ。
まさか、このマンションに最先端の機械が置いてあるなんて隣人も想像出来ないだろう。

 私の待遇も変わった。
部長職となったのだが、もちろん部下は1人もいない。
これを機に私は木藤専務に給与の改善も要求した。
木藤専務は私が遠くにいるので、一般社員も動揺しないだろうということで給与のアップを了承してくれた。
それでも、プログラマーの給与としては少ないほうだと思う。イースト内では高給だが…。
イーストでは社員の給与を平均化するので、給与に差が出ない事はもうご存じの通りである。
仕事の出来ない社員にも気前良く給与を分け与えているのだ。
スナック通い
 しかしながら私は地元に帰ってきて、家賃の心配がなくなった分、今まで必要だったアパート代と駐車場代、それに食費等も必要が無くなった。
これは大きい。
地元に帰ってから連夜のようにスナックに通ってしまった。
東京と違い、スナック代も安いのだ。
地元での旧友達と再会し、悪友たちの通いなれている店を紹介してもらう。
こうして私は地元の繁華街を制覇していった。
おそらく、私を知らない人はいないというほど遊んでいたと思う。
給与のほとんどを酒代に替えていったのである。
28〜29歳にかけての頃だ。
歌って踊れるプログラマーを自称するように実践していった。

さてイーストに話を戻すと、イーストの開発部を仕切れる人物がいなくなるので、私は長井部長の暴走を恐れた。
このままじゃイーストは獅子身中の虫によって細っていくであろう。
残念ながら、地元に開設した事務所は、東京が危うくなれば存在できないかもしれないのだ。
大谷圭吾 イースト開発部課長 そこで私は、東京時代に知り合ったプログラマーの友人をイーストに引き入れる事にした。
彼の名前は大谷圭吾と言い、NTT関連のシステムを請け負っている会社の社員だった。
私は大谷に、イーストで頭を張れる人材がいないと解き、是非イーストに来て仕切ってくれとお願いした。
彼なら大規模プロジェクトを経験しているし、設計の仕方も知っている。
開発部には設計できる人材がいないのだ。

 問題が一つあった。給与の件だ。
明らかにイーストに来ると、彼の所得は減ってしまうだろう。
私は、イーストに来ると仕切れるということでしか彼を説得する術を持っていない。
社長も木藤専務も開発部の危機感を募らせてきはじめていたので、入社の説得には苦労しなかった。問題なのは給与面だ。
そこで、私はなんとか給与の面で善処してくれるようにと社長にお願いをした。
社長はなかなか「うん」とは言わなかったが、粘り強い説得で首を縦に振らせた。
 曽根社長は自分で面接をして、気に入った人しか今まで入社させていない。おまけに見る目も無い。
彼にとって、手なずけられる存在か?が重要なのである。気の小さいお山の大将なのだ。大人物には決してなれないタイプなのだ。
 私の要求は、そろそろ能力で給与に差をつけるべきだと提案しているのと変わらない。
それは会社にとってNOなのだ。しかし、開発部の現状を見ると、背に腹は変えられないことは明白だ。
私としては抜本的な解決を要求したいのだが、それは当時の時点では不可能に近かった。
そこで譲歩案として、「現状には文句を言わないから、大谷を入れて変化を期待する」といっているのだ。彼には可能性がある。
それには大谷のためにも、給与の改善を要求するしかないのだ。それが筋というものだ。

 大谷の待遇は、課長職で入社、給与は私を信用して、能力給に色をつけて以前の会社の給与相当という線で私と会社で合意した。
しかし、以前の会社の給与相当であって、実際には2万円ほど少ない額だった。確か35万円前後だったか?
それでもイーストにとっては異例の高給入社だ。
大谷には給与の件を話し、しかも「ボーナスも期待できない」と正直に打ち明けた。
大谷は、イーストを指導したいという使命感と、遣り甲斐のある仕事があるという積極性で、給与が下がることを承知でイースト入社を承諾した。
どうやら私は彼を運命の迷路に巻きこんでしまったようである。

 大谷課長は長井部長とうまくやっていこうと積極的に話しかけ、若い人たちも熱心に指導した。
私と違い、彼は真面目なのだ。
その真面目さゆえ、彼は長井部長のいい加減さに悩まされる事になっていく…。


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