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もう少し、会社の景気が良かったときの話に我慢して付き合って頂きたい。何故なら、ここをピークにイーストは左前になっていくのだ。
いよいよ本題に突入する様相を呈してきた。
会社設立後10年目に、曽根社長は盛大な「イースト創立10周年パーティー」を関係者ならびに社員一同をホテルの会場に集めて執り行った。1991年のことだ。
その日の社長夫妻は着飾っていて、幸せの絶頂のように思えた。
社長婦人は、さかのぼること2年前、某結婚相談所で曽根社長と知り合い、結婚した。
いわゆる高額所得者用のネルトンパーティーだ。曽根社長は決して高額所得者ではないが、社長と言う立場で会員になれたのだろう。
そのときの社長は、50歳近くになっており、婦人も結構な歳だった。
木藤専務の話では、婦人は以前、教師をしていたらしく、海外生活も豊富で、社長より英語も堪能だということだ。
結婚式(といっても大袈裟ではない)に出席したのは、木藤専務と水上部長だけだった。
曽根社長は、それまで木場にある小さな団地に1人住まいだったが、結婚を境にして小田原にマンションを購入し、新幹線通勤だ。
イースト創立10周年パーティーは、立食形式で行われ、華やかな雰囲気を醸しながら無事終了した。
またこの年には、ゴールデンウィーク前に特別ボーナスも支給され、まさにバブルの典型的なパターンだった。
さらに、将来の退職金やボーナスの為にプール金を準備する話もあったが、永遠に続くような好景気にかき消され、結局実行されなかった。
社員旅行も他の会社と同じように海外旅行だ。
この当時、私の知っている中小企業のほとんどの会社も、社員旅行には海外に行っていたと記憶している。
1991年は香港とマカオ。1992年はシンガポール。
税金対策や費用の面から海外旅行がうってつけだったのである。
しかもイーストでは、どちらの社員旅行にも来年度の社員採用予定者まで招待したのである。そればかりか、イーストに会社を移ろうかな?と思っている人たちまで社員旅行に招待をした。
実際、それのおかげで社員を確保できたのだから、図にのったといえばそうともいえるし、そうでもないようだし…。
ここの判断は、当時の状況を踏まえて考えても正解が私にも良くわからない。
さて、シンガポールの社員旅行を例に挙げて、イーストの社員旅行がどのような感じだったか?伝えたいと思う。
イーストでは若く真面目な社員が多いせいか、海外旅行なんて初めてという社員が多い。その為、社員旅行の間中、皆、浮き上がっていた。私を含め全員がまるで、おのぼりさんだ。
浮き上がりすぎて、パスポート以外の全てをすられた社員もいた。しょうがないので、社員皆でカンパをして旅行を続けたが…。
曽根社長はタイのプーケットが好きで、良く海外に出ている事を自慢し、英語も堪能だと言いきっているが、旅行の最中、1度も会話が通じているのを見たことがない。
そして、「あのやろう、英語が喋れないよ」と現地の人に言うが、傍で聞いている私にも通じていない。
もちろん私の知る限り、相手は英語を喋っている。当時、「社長の英語能力はどのくらい?」っていう疑いの会話が良く社員の間でも交わされていた。
社員の行動はいつも2通りに分かれる。
酒を飲むグループとTVゲームをするグループだ。
私は、社員旅行に来てまでゲームをすることはないと思っているが、それもしょうがないことだ。人の嗜好は色々だ。逆の立場からいわせると、社員旅行に来てまで酒を…だ。
しかし、飛行機に乗ってから現地について、ホテルの部屋を通して、移動のバスの中に至るまで、1人で黙々とゲームをしている若い社員が1人いたが、ここまでくると私にも理解できない。社員旅行を休んで家に居たほうが良かったんじゃないの?
私は当然、飲むほうのグループだ。しかも入社以来ずっと宴会部屋に指定されていて、イーストで社員旅行がある間中、変わることは無かった。
当然、社長をはじめ、のんべい達は私の部屋に集まってくる。
イーストの社員旅行を通して、私は夜きちんと寝たためしがない。
社長の酒乱は既に書いたと思うが、社員旅行では本領発揮だ。
まず社長を嫌いな社員は、食事が終わると早々に自分の部屋に入り、中から鍵をかける。社長の進入を拒むためだ。
社長は酔いが回ると、パンツ1枚の姿になって、各社員の部屋を回る。寂しがり屋の酒乱って表現が適当だと思う。
また部屋に鍵がかかっていると、ドアを何度も殴り、「○○さ〜ん、いないのー?」なんて騒いでいる。
これが国内の場合ならまだしも、海外でもやるから始末におえない。
社員の部屋と間違えて他の部屋でやった時など、外人さんに通報され、あわや警察沙汰になりそうになったりした。
そのときも訳のわからない英語でホテルの人と話すから余計に話がもつれる。社長の不始末をフォローするのはいつも、私と湯川と木藤専務だ。
ある国内の社員旅行のときなんか、来年度入社予定の高校生の靴を隠したりもした。その高校生は、学校の皆勤賞がかかっており、朝早く旅行から帰る予定だった。それを知っている社長は酔った勢いで靴を隠した。やっていることは大きな子供のようだ。
これじゃ皆、社長から逃げるわけだ。
私と湯川と木藤専務は面白がって見ているし、社長を窘める術を知っているので、許せる部分もあるが、普通は嫌がられて当然だろう。
また、こんなこともあった。
社長がシンガポールで面白がって、ドリアン(果物の王様で強烈な臭いがある)を買ったときだ。それを帰りの飛行機に搭乗させようとしたとき、係員に拒否されたのだ。
このときも社長は、訳のわからない英語で係員に抗議したからたまらない。社長は係員に空港事務所まで連行されてしまった。そうなったときの社長はシュンとするので、大事には至らなかったが迷惑な人である。
しかし、悪い事ばかりでもない。
社長は妙な度胸があるので、シンガポールの胡散臭い路地までタクシーを飛ばし、私達を到底経験できないような場所で経験できない食事をさせてくれた。もちろん全て社長のおごりである。
そんな社長の上手な使い方を知っている私や湯川は多くの場合、他の社員よりも得をすることがあった。また、そんなお茶目な社長が好きだった事も事実である。
本筋と全然関係ないが、シンガポールの露店街で私と湯川が夜食事をしようとした時のことだった(他の社員は海外の夜を怖がって誰も来なかった)。
海外では日本人が馬鹿にされていると思っていた私達は、慎重に行動しようと決めていた。
そこで慎重に、肉と野菜の炒め物とカニの揚げたやつの2皿を注文した。いわゆる酒の肴にするつもりだった。
そして、隣のテーブルを見ると、外国ラベルのビンビールを飲んでいる白人男性がいたので、ビールを1本注文した。
1本にしたのは湯川が「どんな味のビールかわからない」といったからである。
しばらくするとビールを手に持った店員がやってきた。
しかも怪しげな日本語で気前良さそうにやってくるのだ。良く見ると手に持っているのは、日本製の1リットル樽入りビール。
何だ?と見ていると、店員は有無も言わさず、私達の目の前でビールのキャップをひねり、樽を開けてしまった。
「返品できないぞ」って態度だ。
私と湯川は「なんで海外に来てまで日本のビールを飲まなければいけないんだ」と言いながらも「良かったよ、1本にしておいて」と言い合っていた。
そんな言い合いの最中、ふと少し離れたテーブルに目をやると、日本人女性4人が座っているテーブルがあった。
良く見ると、1リットルの樽ビール4本がテーブルの上に並んでいた。
その女性たちは不機嫌そうな顔でビールをにらんでおり、しらけきっているように見えた。
私と湯川は、「あれ、ビール4本って言ったんだぜ」と可笑しいのを堪えながら大いに受けていた。
こんなときの私達は、架空の話を想像して話を面白く展開させる癖があった。そして、お互いにジョークを言い合って、更に受けるのだ。
「ねぇ、どうするこれ?」、「あんたが頼んだんでしょ?」、なんて彼女らの会話を想像し、「きっと言い返せないんだぜ、あれ」とか、「しかし目立つなぁ、恥ずかしがっているよ」と、野次馬になっているのだ。
しかし何故?4本もあるんだろう?女性4人なら、「ビール2本」って頼むだろうし…?
そんなジョークの言い合いで大笑いしている自分たちの目の前に、先ほど注文した炒め物と揚げ物がきた。そして、それを見た瞬間、私達は笑いが止まった。
そこには1皿で4人前はあろうかという大盛り料理。それが2皿。
湯川がとっさにメニューを見ると、1人前から4人前の項目がある。当然、私達は1人前を注文したつもりだったのだ。
しかし、目の前にはパーティーでも出来そうなほどの料理が…。
「やられたー、2人しかいないって知っていてこれかよーっ」
さっきまで他人を見て笑っていた私達が、今度は他人から笑われる羽目になったのである。
ゴーン。
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