富士五湖TV 葛飾北斎の富士山
浮世絵の中の富士山あの富士山はどこから描かれているのか?
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葛飾北斎考察がNHK歴史探偵NHK歴史秘話ヒストリア2023年正月特番にて放送されました。
葛飾北斎の富士山
考察総論図解
葛飾北斎はどのように富士山を描いたのか?
以下の考察結果から
北斎は一か所のスケッチから複数の画を完成させており、
これは同時に北斎の富士山視点位置に間違いが無いことを裏付けています。

「凱風快晴(冨嶽三十六景)」の視点解説
富士山の視点は富士川河口沖付近と(100%)特定できました。
構図はスケッチを傾け宝永火口を隠した画となり、旧田子の浦(由比沖)からの富士で、山頂部と山体の組画で構成されています。
従来の定説を覆し新発見となりました。
「神奈川沖浪裏(冨嶽三十六景)」の視点解説
富士山の視点は神奈川沖から木更津沖に向かったと海路上(90%と)特定できます。この画は多数の相似形を使用しており、1枚の画の中に5コマの時間経過を配置した高度な遊びも感じられます。
ただし、富士山の隠し絵と時間経過の描写は意見が分かれる可能性があります。
「山下白雨(冨嶽三十六景)」の視点解説
富士宮市芝川付近から見た富士山を分解再構築した画と(100%)特定できました。特に富士山稜線左側の形状は実際の風景の一部を傾けて描いた結果です。
従来の定説を覆し新発見となりました。
「甲州三坂水面(冨嶽三十六景)」の視点解説
富士山の視点は富士河口湖町勝山湖畔と(100%)特定できました。北斎は船上にて視点移動しながら溶岩の表情を1枚の画として描いています。また北斎特有の「御坂峠の見立てで同じ構図の景色を描く」遊び画です。
従来の定説を覆し新発見となりました。
「東海道江尻田子の浦略圖(冨嶽三十六景)」の視点解説
静岡県沼津市西浦久連付近〜沼津沖と(80%)特定。
富士山の視点を反転させて、江尻〜田子の浦(旧田子の浦)の風景に見立てた画になります。
従来の定説を覆し珍説発表となります。
「甲州三嶌越(冨嶽三十六景)」の視点解説
全体的な場所は籠坂峠付近。宝永山を隠すように矢立の杉(笹子)らしきものが。様々な説を統一踏襲しましたが、視点位置はピンポイントで特定しました。
しかし、この画の最大の発見は富士山稜線の描き方です。
富士山の稜線は中央の木の輪郭を使用しており、従来にない新発見です。
「甲州伊沢暁(冨嶽三十六景)」の視点解説
近景は現石和ですが富士山の視点は富士宮市から見た「山下白雨」の富士山の一部です。
従来の定説を覆し新発見となります。
「甲州石班澤(冨嶽三十六景)」の視点解説
近景(鰍沢)は不明、富士山の視点は富士市から見た「凱風快晴」で使用しなかった富士山頂です。人物との相似形が楽しい。
どちらかというと異説と従来の定説を覆し新発見となります。
「相州箱根湖水図(冨嶽三十六景)」の視点解説
今のところ、そのまま素直に場所特定を行いました。
「信州諏訪湖(冨嶽三十六景)」の視点解説
現在検証中です。
 

「踊独稽古」より-北斎を、もっと知ろう
葛飾北斎のアニメーション?踊りをコマ送りで表現。
動画にしてみました。

 かつて「マンガの神様」と称された手塚治虫は、「マンガはおやつであり、記号である」と述べました。劇画がマンガの世界に登場し、「手塚マンガはもう古いのでは?」と言われ始めた時に発した言葉でした。手塚は、マンガの中の人物や木などを記号化してスケッチを大量に保管し、ストーリーに合わせてコマの中に貼り付ける作業を発案し実践していました。インタビューされた際、マンガの記号化を提唱していましたが、すでに葛飾北斎が実践していたと語っています。

 葛飾北斎の「北斎漫画」という作品集を見ると、様々なスケッチやデッサンがあり、遠近法の考察も行っています。そして、その様々なパーツを自身の作品の中で自由に配置し、時には大きさや左右を入れ替えたりして仕上げています。

 前置きが長くなりましたが、北斎の富士山を描いた浮世絵の作品も、多くのパーツ集から人物などが配置されており、画の構図は切絵を配置するような考察を経て仕上げられています。つまり、ストックされている画の部品一つ一つを遠近法の構図の中に拡大・縮小・反転・回転などの変換を用いて絶妙に配置されているのです。それは画の対象である富士山についても行われていることが重要な要素です。したがって、「この画の富士山はどこで描いたか?」と同時に、「この画の富士山はどこの富士山をどのようにはめ込んだか?」も考える必要があります。

 また、当然ですが、1800年代の地形を想像しなければなりません。江戸時代の道や川や湖などの湖畔は、現在とは場所が違うし、地図感も違います。地図感とは、例えばA地点からB地点に行く際、現在では道路を基準に考えがちですが、昔は最短距離で行ける経路や山の尾根などを有効に活用していました。平地がありがたいと思うのは現在の価値観であり、昔の価値観ではないのです。以上のことを踏まえた上で、北斎の痕跡を想像し、富士山のスケッチをどこで行ったのかの特定の助けとしています。

 要するに、手塚治虫が提唱したマンガの記号化は、葛飾北斎がすでに実践していたということです。北斎の富士山を描いた浮世絵作品は、多くのパーツ集から成り立っており、遠近法の構図や地図感を考慮して、部品を絶妙に配置しています。そして、1800年代の地形を想像しながら、北斎の富士山のスケッチを行った場所を特定する際に、これらの要素が重要な役割を果たしています。




絵・写真・動画・文:久保覚(富士五湖TV)
資料:国立図書館・国土地理院・wikipedia
使用ソフト:カシミール・GoogleEarth
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