富士山と富士五湖の情報局

武田信玄願文

(県指定文化財 昭和33年6月19日)

武田信玄願文 (A Wish Written by Lord Shingen Takeda)

 信玄は息女、黄梅院の安産を祈願して、弘治3年・永禄9年のニ度にわたり、冨士御室浅間神社に願文を奉納しています。この願文の産児は北条氏政の三男の直重と思われます。戦乱の世にあり、たとえ政略結婚であっても、英雄信玄も人の子の父として冨士浅間大菩薩に神功を祈願。信玄の細やかな人間性を知るうえで貴重な史料であり、あまりにも有名な安産祈願文です。(栄禄9年5月吉日付)

戦国乱世に生きた女性、黄梅院

 信玄の長女「黄梅院」は、天文12年(1543)に生まれ、母は三条夫人です。天文23年12月、12歳で相模の北条氏政のもとに、甲・相・駿三国同盟のための政略結婚で小田原に輿入れしました。「行列のお供は一万人にもなる盛儀であった」と「勝山記」は伝えています。
 氏政との間に嫡子氏直と四人の男子を出産しましたが、武田・北条両家の破綻で、永禄12年(1569)黄梅院は、すがる子供を残し甲府へ返されました。心身とも疲れ果てた黄梅院は同年6月17日、病いのため27歳でこの世を去りました。
 信玄は薄幸の黄梅院の死を悲しみ、黄梅院を建て永代の供養につとめました。現在はその墓所といわれる所(双葉町竜地)が伝わっています。
 法号は「黄梅院殿春林宗芳大禅定尼」です。

武田信虎判物

武田信虎判物

A Recognizance Written by Nobutora

棟札武田勝頼継目判物

棟札武田勝頼継目判物

A Recognizance Written by Katsuyori


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