富士五湖TV 金運神社の場所が変わった?
新スポットは富士山最古、冨士御室浅間神社!
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金運神社の場所が変わった?
新スポットは富士山最古、冨士御室浅間神社!
大震災の4日後に起こった富士山直下の巨大地震が金運神社のエネルギーの場所を変化させた!?
 当ページは従来の従来の金運神社のエネルギーが東日本大震災以降無くなってしまったという重大な要素を含んでいます。
(緊急掲載にて、当ページはまだ編集中です
 この記事の執筆(2013年2月)から遡ること6年前、富士五湖TVの当サイト内にて「金運神社」と「レイライン」の発表を行ってから数年後、富士五湖地方にパワースポットブームが巻き起こってしまった。その後、レイラインの記事を参考にしたツアーコースからイベントまで様々な企画が作られ実行されていき、改めてインターネットの影響の大きさを痛感してしまった。

 特に反響が大きかったのは「金運神社」の記事で、多くの参拝者を富士山二合目に招致してしまう結果となった。もちろん当サイトはブームの火付け役を担ったとはいえ、2012年まではこの件を放置してきた。しかし東日本大震災後、金運神社の御利益を感じられないとの情報が多く寄せられたが、特に気にするまでにも至らなかった。さらにその後、金運神社内で金銭トラブルのいざこざの噂があったり、二合目奥宮がやたら豪華になり景観を壊しているのではないかという負の声も多く寄せられるようになった。

 そして極めつけは、2013年3月に発生した300mに及ぶ富士山林道の亀裂である。この亀裂の発生場所は金運神社二合目奥宮付近の林道で、原因は豪雨による土砂流出であるが、もはや神の怒りに触れたとしか思えない出来事に接し、皆様の行動に間違いが起こらないよう本記事を急きょ執筆した次第である。

 つまり本記事は、「金運神社そのものが既に霊力を失った」と思わざるを得ない事態を感じて再調査を行ったレポートである。

 ことの発端は当サイトに記述した通り、船井幸夫さんの「お金が欲しければこの神社に行け」から始まっており、その根拠として金運神社がある場所の気の流れに由来している。ざっくり言えば、富士山という大きなパワーがある場所に位置し、背後に山を控え、前には水があり、なおかつ開けている地、風水でいえば龍脈に乗っている場所で癒しのパワースポットということになっている。まさに船井幸夫さんは現奥宮の場所をイヤシロチと定義し、金運神社と呼んだのである。
わずか5年間で奥宮の風景が俗物化してしまった

 なるほど確かに当地は上記の龍脈上にあるような要件をそろえている。しかし、当初から地元では一つの疑問があった。それは二合目にある奥宮の成り立ちである。まず、奥宮のある本社は富士吉田市新屋という地域にあり、新屋山神社と呼ばれている。その新屋という地域は歴史的に新しく、河口湖の西にある鳴沢村の飛び地として鳴沢村の人々が富士山で山仕事をするために切り開いてできた土地であり、鳴沢村の分村地である。その後、明治8年に新屋村は上吉田および松山と合併し福地村となり、のちに富士上吉田町と町名変更をし昭和26年に富士吉田市となった。前述したとおり、当地は鳴沢村の山仕事の場であった。なぜなら新屋周辺はマルビと呼ばれる比較的新しい溶岩が流れた場所に位置しているため田畑には向かない土地だったからである。
 金運神社(新屋山神社の奥宮)はその山仕事に従事する人の避難小屋が始まりであることは分かっている。直ぐ近くに沢があり、水があったため都合が良かったと推察される。つまり、金運神社の始まりは昔の人が感じた霊場では無かったのである。つまり、これが地元の人間が抱いていた疑問である。

 しかしながら、一時は強いエネルギーを感じ「訪れて良かった」という人もいたことは事実であり、船井幸夫さんも不思議な力を感じたのだから、そのことはある意味事実であり、さらに当サイトが増幅させた結果として地元にパワースポットブームを呼びこんでしまったことも事実である。

 そして、これから何を言いたいのかというと「何故、東日本大震災後、金運神社の御利益を感じられないのか」ということであり、新事実が判明したという事である。

 東日本大震災以前は船井幸夫さんが推察した通り、巨大な龍脈上のスポットに位置していたであろう現地からエネルギーが出ていたと思われる。しかしそれは風水上の条件を備えているため気の一部が漏れていたものだとも推察できる。そして東日本大震災以降にその気が止まった。

 何故か?
 実は2011年3月11日の東日本大震災の4日後に発生した静岡県東部地震(3月15日22時31分)に起因(wiki)する。
平成23年3月15日22時31分頃の静岡県東部の地震について(気象庁報道)


 この地震は地元でも大きく揺れ(震度5〜6)、震災に連動して富士山噴火か?と大騒ぎになった地震である。
 今問題にしたいのはその発生場所である。この場所はまさに龍脈上に一致し、山頂を軸として金運神社の反対側に位置する。つまり、この瞬間に金運神社の龍脈は断ち切られてしまったのだ。

 正確には「断ち切られた」のでは無く、3月15日の富士山直下の地震で本来の場所にエネルギーの流れが戻ったのである。

 では、どこに戻ったのか?

 まず疑問を解く前に、千年に一度といわれている東日本大震災が前回起こったのは、西暦869年の貞観地震であり、その5年前の864年には青木ヶ原樹海を作った富士山大噴火(貞観の大噴火)や9年後の878年には関東地方で巨大地震が起こっている。
 つまり、東日本の大地震を契機に龍脈が元に戻り、富士山のエネルギーが増しているという地元の人間にはありがたくない事実がありそうなのだ。ちなみにこの貞観の大噴火を契機に富士宮に浅間神社本社が配置され、富士山を取り巻くように浅間神社を放射状に配置した。

 さて、ここで勘の鋭い人は富士山を取り巻くレイラインの図から閃いたのではないだろうか?
富士山で一番古い社であり、浅間神社本社はこの社の山頂反対側に配置させ、さらに周辺の浅間神社の要となっている神社、すなわち冨士御室浅間神社である。
 朝廷の定めた浅間神社本社は富士宮にある富士山本宮浅間神社であるが、そのはるか以前の太古の人々が富士山のエネルギーを感じていた場所、それが富士山二合目にある冨士御室浅間神社の社である。

 この社のある場所は背後に富士山を控え、少し広い場所は溶岩の大地の上に位置し、その為か水が豊富に沸いていた場所である。風水的にも理想の立地場所である。もし船井幸夫さんがこの場所を見ていたらイヤシロチだと思うに違いない。
また、この場所の地図を見ると、東に平行移動した場所に現在の金運神社がある。その中間には女人天上と呼ばれる女性の結界線もある。現在の金運神社は車で簡単に行けるが、冨士御室浅間神社は富士山登山道に位置し簡単にはいけない。これが船井幸夫さんの行動を妨げたのだと個人的に勝手な想像をする。

 冨士御室浅間神社はレイラインの図からも明らかなように全ての浅間神社の要であり、この社の山頂反対側の延長線上と鹿島ラインの交点に富士山本宮浅間神社が位置する。
地元でも知らない人が多いのだが、富士吉田市にある北口浅間神社という大きな神社でさえ冨士御室浅間神社の下社であり、下浅間と呼ばれている。富士吉田の人は下吉田地域にある浅間神社を下浅間と呼ぶが実際は全て御室浅間神社の下浅間である。また御室浅間の社のある場所は富士吉田市の中の富士河口湖町勝山の飛び地である。これは富士山北麓で富士吉田市は江戸時代以降の新しい地域として後世に繁栄したに過ぎないことを示唆している。これらは事実だからしょうがない。

 さて、冨士御室浅間神社を新金運神社と呼ぶかどうかは別として、私は現在の金運神社(新屋山神社奥宮)が東日本大震災以降にその霊力を失ったと見ることが妥当だと思うので私はもう「金運神社」とは呼ばない。


 では、富士御室浅間神社の横顔を紹介すると、本宮は富士山最古の社。 699年(文武天皇の御世)藤原義忠公が霊山富士二合目へ奉斉…
以降、まだ執筆中…

絵・写真・動画・文 久保覚(富士五湖TV)
マップ Google Earth
カシミール3D 杉本智彦
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