「ドラムを教えて下さい」と言われて始まったドラムスクール…
2006年3月、喧噪の東京を離れ富士の素晴らしい自然でいっぱいの山中湖に居を移しました。
間もなく、一人の青年と知り合いました。彼は体格も良くはきはきとしていて、笑顔が印象的な稀に見る好青年でした。彼は富士吉田市にある富士学苑高等学校のジャズバンド部のドラマーとして活躍していると言うのです。
出会ったその日から家族ぐるみで毎日遊んだり、食事をしたり、もちろん音楽の話をしたり、とても楽しい日々を送っていました。
その後、彼から「ドラムを教えてください」と言われ、是非力になりたいと思い、どこか周りを気にせずに音が出せる場所はないかと探し始めました。
すると、我が家から歩いて5分のところに“スタジオ・ミュージック・イン”の看板が目に入りました。
“スタジオ・ミュージック・イン”は関係者ならほとんど知っている老舗のレコーディングスタジオです。名前は知っていましたが仕事で利用したことはなかったので、まさかこんなに近くにあるとは!と驚きました。
そしてそこの門をたたいて事情を話したところ、スタジオのオーナーご夫妻は快くドラムレッスンのためにスタジオをお貸し下さったのです。
早速彼に「レッスンができるよ!」を連絡をして、記念すべき第1回目のレッスンが始まりました。
ちょうど富士学苑ジャズ部のリサイタルが近付いていたので、少しでもビートを安定させて、メリハリのあるプレイにしたい…という思いで臨みました。
曲を通して演奏できるのに基礎ができない…彼は音大も目指していたので、「これから始まるレッスンはハードだよ」と言って1回目のレッスンが終わったのを覚えています。
そしてリサイタルを迎えます。彼は3年生なので高校生活最後のリサイタルでした。彼のことを思うと、こちらの方が緊張してしまいます。
そんな心配をよそに、彼のドラム演奏は人柄がそのままで、喜びで溢れていました。
演奏すること自体の喜び、感謝…彼の音からポジティブなものがたくさん伝わってきて、本当に嬉しく楽しい思いでした。
その時にドラムスクールに力を注いでみよう、と決心したのでした。
僕が経験したこと、培ってきたことを共有して、少しでもみんなが楽しく、充実できればと…
終演後、固い握手を交わして「これからやることいっぱいだよ!楽しみだね。」と…
それが最後の言葉になってしまいました。
リサイタルの晩、交通事故で彼は天国に召されてしまいました。
彼にも、ご家族にもかけられる言葉は見つからないのですが、一晩傍に居させてもらいました。
その晩は心の中で彼の次のレッスン、ルーディメンツや4wayなどのメニューを考えていました。彼の笑顔が漂っていて、一晩中ドラム談義をしていたような不思議な感覚の晩でした。
そして富士学苑ジャズ部は次のステップを踏みます。
まるで彼の魂が乗り移ったかのごとくメンバーが一丸となり、レベルがどんどん上がってゆくのです。
彼の後任のドラマーは女性で、音楽経験も豊富なこともあり、ジャズ部での現場経験やドラムレッスンを次々に消化して、コンテストでベストプレイヤー賞やリズムセクション賞を頂いたり、音大にも合格いたしました。おそらく、今後ドラマーとして活躍して行くこととなるでしょう。
ジャズ部自体は大学生やプロを差し置いて、浅草ジャズコンテストでグランプリを獲得したり、MJQ(Manhattan Jazz Quintet)との共演、ジュリアード音楽院との交流など、国際的にも注目の的となるほどに成長しました。
現在、富士学苑のジャズ部には月2回はど指導に伺わせていただいております。現ドラマーも当レッスン生で、上達は早く、1年間がまるで3年を凝縮したかのように感じます。
彼が「ドラムを教えて下さい」と言ってこなかったら、存在していなかったドラムスクール。
楽しい時間と学びを与えてくれた彼、井野竜也君に感謝の意を表します。
そして、忙しい毎日の中に音楽を見つけ、真剣に取り組む生徒さんたちにも感謝します。
そんな、湧き上がるように始まったドラムスクールです。
音楽は友。
音楽はすべての生命をつなげる魔法の言葉…
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