「甲州三島越」の構図を考察します。まず、中央部を分割するような巨木に「1」に目が行きます。その視線を下げてくると大人たち「2」が何かやっています。身なり持ち物から旅人でしょうか?たわいもない会話が聞こえてきそうです。そしてこのユーモラスな光景の向こうに富士山頂「3」があります。富士山のすそ野を追って「4」まで視線を移すと草履を放り投げて茅刈りを休憩している人がいます。地元の人でしょうか?旅人の驚きを自慢げに見ているようです。そして細部の「5」に視線は移り、その他のストーリーを想像させます。そしてこの峠が地元の人や旅人の行き交う要所で高低差のあるきつい峠であるにもかかわらず巨木によって一息つけるポイントへと昇華しています。
通常なら、中央の巨木の存在で視線に一定のリズムが生まれず不安定になる場合が多くなりますが、北斎の画は適度な人物配置と富士山の存在で一定のリズムを崩しません。「1」で引き付けられ「2」で溜め、「3」で引き付けられ巨木を横切って「4」で溜めが自然に入ります。つまり、インパクトのある存在感で視線を引き付け誘導し、視線の誘導先で「何をしているんだろう?」という脳の思考で視線に溜めを作っているのだと思います。私はこの緩急がこの画の魅力だと思いますがいかがでしょうか? |
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さて「甲州三島越」ですが、実際の富士山の稜線とかけ離れて描かれていることが気になります。北斎のスケッチは大変正確で「必ずどこかに同じ構図の富士山がある」と思っていますが、この画に関しては当てはまるように思えません。よって本項はひとまず視点を特定するに留めておきます。
引き続き検証作業を進めていきたいと思います。 |
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その後、検証作業を進めた結果、
北斎の画の秘密を垣間見る新発見がありました |
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「甲州三島越」に描かれている富士山の稜線は結果的にどこの地形にも当てはまる場所がありませんでした。しかしその後、「山下白雨」の北斎の描き方は大きなヒントとなりました。ちなみに「山下白雨」の描き方は富士山の斜面から裾野にかけて広がる地形の起伏をそのまま「山下白雨」の富士山の稜線に当てはめて描いています。それと同じ手法が「甲州三島越」にも使用され、その地形が「どこかにあるはず」と思い、探し回ったわけでしたが、時間ばかりが経過し結果的に見つかるに至らなかったという訳です。 |
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それでは、「甲州三島越」の富士山の稜線の形状は何でしょうか? 私は「甲州三島越」の富士山の稜線の形状を1年近く見続けました。そして閃いたのです。 |
この細かい凹凸がある自然物というのは木の表面なのかもしれない… |
そう、木の皮の表面に見えたのです。そして、「甲州三島越」を改めて見ると大きな木が描かれている。「まさか…?」
こう思い立ったら検証するしかありません。以下にその検証過程を示します。 |
富士山の左稜線に木の左側を重ねます |
富士山の右稜線に木の右側を重ねます |
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なんと、一致しているように感じます。そこで更に良く分かるように画を加工して検証していきます。 |
木の左側輪郭を分かり易いように赤くする
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富士山稜線に重ねてみます |