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甲州伊沢暁 冨嶽三十六景(1831〜1833)より |
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甲州街道、現国道20号の石和(井澤)宿から描いた味わいのある画です。タイトルに「暁」とあることから石和宿を旅立つ早朝の風景であることは間違いありません。宿の中段に見える川は現笛吹川(旧鵜飼川)で、右端に見えるのは当時と場所は違いますが鵜飼橋であろうと言われています。この鵜飼橋を渡る道筋は鎌倉往還と呼ばれ、甲州街道石和から(旧)御坂峠を越えて河口湖に至り、さらに山中湖を抜けて鎌倉に至る古道で現在の国道137号〜138号になります。
さて通説では、この画の視点は現在の石和駅裏にある大蔵経寺山と言われており、「甲州伊沢暁」の右手前にある丘と鵜飼橋の位置関係から通説の判断されていますが、実際の大蔵経寺山から石和宿を見ると人物は豆のようで、この画のように見えません。何より問題なのは石和周辺から見る富士山はこの画の通りではなく、富士山は山頂部しか見えません。「甲州三坂水面」でも指摘した通り、北斎は画に見える実際の距離感で作品を仕上げていて、「甲州伊沢暁」の構図でいえば山の上と言うよりは数メートル上から描いていると言わざるを得ません。
「甲州伊沢暁」の詳細はwikiで
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通説の視点が大蔵経寺山を採用する理由の一つに富士山の眺望があるかもしれません。実際に石和市内に行けば分かることなのですが、石和の平地から富士山はほとんど見えません。わずかに可能性があるとすれば高所に立つことですが、これも再三述べている通り、「北斎は富士山を描くためにわざわざ高所に行きません」。北斎は旅の途中で感じたとおりにスケッチを行い、それを元に画を仕上げています。
北斎は日蓮に関連した場所を訪れ、その付近でスケッチをしているケースが多いことも既に指摘しています。この「甲州伊沢暁」の場合は、鵜飼橋近くの遠妙寺(鵜飼寺)が日蓮宗の寺院で、この画には描かれていません。現在の遠妙寺付近に高台はありませんが、画から想像するに5m〜10m程度の高さから描いたことは間違いがありません。
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大蔵経寺山登山道入口より眼下に石和市内、遠方に富士を望む |
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