富士五湖TV 甲斐御坂越(冨士三十六景)の解説
歌川広重の富士山はどの場所から?の謎解き
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甲斐御坂越 冨士三十六景(1858)より
  一般的な通説では旧御坂峠から見た風景だと言われています。旧御坂峠とは、現在の新御坂トンネル上の尾根鞍部にあり、古くは鎌倉往還と呼ばれ「いざ、鎌倉」の 時に甲斐(甲府)を抜けて鎌倉へ至る重要な道でした。更に時代を遡ると大和朝廷の時代まで行きつき、もしかすると日本武尊も越えたと言われています。
 太古の日本において京と関東、もしくは東北を繋ぐ重要な道は山岳地帯を主な道にしていました。その理由として、当時の海沿いの道というのは湿地帯、あるいは断崖が続くため踏破困難だったためで、山沿いか山尾根を歩くほうがはるかに容易だった点が現在と大きく違います。
 余談として、平安〜鎌倉時代〜には修験道者も山岳ルートを良く利用し、鎌倉往還から富士山に至る修行の道としても活用されていました。

 時代が下り江戸時代ともなると、富士山信仰もあいまって江戸から今の郡内(河口湖・富士吉田)へのルートが広く知られるようになり、主なルートとして二つの道程がありまし た。一つは江戸から甲州街道経て大月から富士吉田(御師の町)に至るルートで、もう一つは甲州街道をまっすぐ甲府まで行き、途中の石和から御坂峠を越えて河口(旧御師 の町)に至るルートです。
そして「甲斐御坂越」の視点として言われている通説は、今の甲府あるいは石和方面から鎌倉往還を通り、御坂峠を越えて河口湖へ至るルートの途中で描いたものと推定されています。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

コラム:現在の御坂峠について
 地元の人でも勘違いするのですが、江戸時代の御坂峠を現在の天下茶屋のある旧御坂トンネル上と思っている人が多いです。旧御坂トンネルは自動車の普及に 伴って1931年(昭和6年)に御坂隧道を含む旧・国道8号として開通した道路です。1938年の天下茶屋は小説家太宰治が井伏鱒二を訪ねて逗留したこと でも有名で、小説「富嶽百景」中の「富士には月見草が良く似合う」の名文句でも有名です。その後1967年に旧御坂峠下に新御坂トンネルが開通しました。
よって、旧御坂峠下にあるトンネルが新御坂トンネルで新御坂峠下にあるトンネルは旧御坂トンネルなのです。

河口湖から御坂峠方面

新御坂トンネル

旧御坂トンネル
 実際に行ってみると分かりますが、旧御坂峠から河口湖は半分しか見えませんし、鵜ノ島は見えません。その上、現在の旧御坂峠は木々が生い茂り、下界の景色が望めません。そこで実際に旧御坂峠からどのような景色が広がるのか以下に見てみました。

展望のない御坂山塊の尾根筋

御坂峠付近から、右は黒岳稜線

御坂山からドローン撮影

 以上のように、御坂峠から見た河口湖はやはり半分しか見えません。また、鵜ノ島は想定通り黒岳稜線に隠れて見えません。地形の現地考察から河口湖の展望が開け、鵜ノ島がかろうじて見える場所は御坂峠東にある御坂山山頂から三ツ峠の尾根筋になります。ただし、下界の展望は無いのでドローンを用いて確認しました。
つまり、ここまでの単純な考察から言えることは
通説による江戸時代の御坂峠の風景は現在の旧御坂峠からの風景ではない!    
ということです。
 そのように考えると、歌川広重の「甲斐御坂越」葛飾北斎の「甲州三坂水面」も通説に言われるような「旅人が峠を越えて湖と富士山を見た感動を描いている」という画の見方そのものが変わってくる可能性も示唆していますが、ここではまだ深く触れません。
しかし二百年もの間、御坂峠の画の研究をしている人たちは実際に御坂峠を訪れたのでしょうか?かろうじて許容できる視点位置は旧御坂峠沿いの古道ではなく、峠の東にある御坂山で、鵜ノ島と富士山右稜線以外の心象風景は画の視点だとしても納得がいきます。もし、下界の展望が開けていれば御坂山を画の視点と定めても納得していたかもしれません。何故なら、かろうじて鵜ノ島が見えるため信ぴょう性が高く、他の視点候補を探す勇気が出なかったかもしれません。現在のように二次元の地図のみで検証作業を行えば勘違いをしても仕方がないのかもしれません。それほど御坂山の風景には納得させる力があります。
 ところが、実際に現地にて最新機材(GoogleEarthなどの三次元地図やドローン等)を用いて下界を観察すると様々な相違点を画の中に発見できます。そして、やはり鵜ノ島の見え方は決定的と言わざるを得ません。御坂山のドローン画像を見ても明らかなとおり、実際より高度を上げても鵜ノ島はほんのちょっとしか見えません
葛飾北斎の「甲州三坂水面」のように画の中の島が鵜ノ島で無いのなら問題はありませんが、歌川広重の「甲斐御坂越」の島は明らかに鵜ノ島でしょう。というわけで、この画は御坂峠から描いた風景では無いという訳です。
 
 では、歌川広重の「甲斐御坂越」が御坂峠の風景ではないとすると、いったいどこから描いた湖と富士山なのでしょうか?絵を構成する各パーツは地元目線から、富士山、河口湖、鵜ノ島、足和田山、産屋崎を描いていることは間違いないようです。
そうすると次に想定する場所が、西川林道から河口浅間神社に至る古道(登山道)です。この道は土地勘のある人なら車で訪れたり、山を好きな人なら登山道として訪れた経験があり、場所によっては河口湖を望めるロケーションがあるので、なんとなく分かるかもしれません。以下に幾つかある西川林道からのロケーションの一つを提示します。
 実のところ、当初はこの西川林道沿いの風景が御坂峠の画だと思い、検証用の資料を集めて証拠探しをしていました。しかし、どうしても富士山山頂の位置が左に寄りすぎているという疑念が晴れることがなく、御坂峠の視点を確定することができませんでした。そのような経緯を踏まえて御坂峠を描いたと思われる画を何点か集めたのでご覧ください。
歌川広重:甲斐御坂越
 
 
河村岷雪:大石郡内
葛飾北斎:甲州三坂水面 船津今昔物語版より
富士山道しるべ(1860)
以上がだいたい御坂峠から描かれていると言われている画です。
次に御坂峠を描いた画の共通点でグループ化します。基準は鵜島と産屋崎の見え方です。
鵜ノ島右にあるグループ甲斐御坂越(広重)、船津今昔物語(版より)、富士山道しるべ(1860)、大石郡内(岷雪)
鵜ノ島左にあるグループ甲州三坂水面(北斎)
まず、北斎の描いた風景は明らかに他の画と趣を異にしています。また、岷雪の画は抽象的過ぎて扱いが難しいので検証用の画からいったん除外します。
〇北斎の描いた御坂は葛飾北斎の「甲州三坂水面」で詳細に検証します。
〇岷雪の描いた御坂は一応視点を予測してあります。以下のコラムを参照してください。
 
コラム:河口〜霜山〜上暮地のコースについて
 西川林道方面から富士山を見ると河口湖と鵜ノ島がバランスよく入ります。また、西川林道を横切るこの古道は、現在の河口〜清八峠〜都留を繋ぎ、江戸時代に富士講が盛んになって都留〜吉田ルートが主要路となっても使われ続けました。また、河口〜霜山〜上暮地の古道はかつて日蓮聖人池上への道で越えた、いわゆる「おっこし(御越し)」でもあります。その後日蓮は明見〜忍野〜足柄峠を経て池上に至っています。
余談になりますが、日蓮宗に帰依していた北斎は日蓮と同じくこの霜山ルートを辿った可能性もあり、さらに付け加えると、北斎が旅の参考にしたと言われている河村岷雪の絵に霜山付近から見た構図らしきものが存在しています。
 さて、日蓮聖人は「池上への道」で身延から鰍沢、曽根、黒駒を経て御坂峠から河口に入ったことになっていますが、病の日蓮からすれば御坂峠超えは遠回りで大変だったと思います。ところが、ここで行う考察の御坂越ならば、身延、鰍沢、曽根、大石峠、ここで解明された御坂峠、河口、三国峠、足柄峠と、最短ルートで池上に行けます。常々、当時からあった箱根越ではなく、遠回りの御坂越を選んだことが不思議でしたが、大石峠〜ここで解明された御坂峠のコースなら納得がいきます。こちらも新説として検証したいと思います。ひいては北斎のルート解明にもなるかと思います。

左絵のタイトルに「大石」とあるが、実際は霜山から見た景色に近い
〇広重の描いた御坂峠は本項の主旨ですので以下に検証を続けていきます。
 

明治43年河口湖増水時の産屋崎

現在の河口湖の産屋崎
左の画像は河口湖増水時のものですので道があった場所が水没しているが、今も当時の風景を留めていることが分かる。
広重の画では「D」に相当。
 
A: 富士山の稜線が足和田山に掛かっていることから、標高の高い場所から見ているのでは無いと分かります。例えば、1,500mを超える御坂尾根から富士山の稜線を見ると足和田山より高いところを富士山の稜線が横切ることになります。つまり、足和田山と富士山の稜線の重なりを観察すると、どの高さから見た景色か判明します。しかし、Aのコブの様なものは足和田山の山頂に見えますが、遠く富士山の大室山の重なりの可能性もあります。よって、視点の高さは二つの候補が付きまといます。
1,660m〜
足和田山の山頂より高く富士山稜線が通るため、上画のどれにも当てはまらない。
よって、標高1,500m以上の視点は無視できる。
1,370m〜1,400m
足和田山山頂と富士山大室山が重なるように見えるため、大室山は足和田山の一部のように勘違いされるかもしれない。
可能性は少ないが、大室山が足和田山の一部と勘違いしている視点候補として記録しておく---PosA
1,125m〜1,200m
足和田山に富士山稜線が重なって見える範囲で、富士山稜線と足和田山が上画のような比率で重なる視点の標高は1,130m付近である---PosB
B: 青い線のように特徴が並んで見える視点位置のエリアを地図にプロットします。
C: 赤い領域のように見える視点位置のエリアを地図にプロットします。
D: 緑色の線のように特徴が並んで見える視点位置のエリアを地図にプロットします。
E: オレンジの領域は現在の八木崎だと推定し、エリアを地図にプロットします。
F: 白丸のエリアが上記A〜Eの共通部分(色の重なりが濃い部分)で、この範囲に甲斐御坂越の視点があると推定できます。
G: 絵にある丘か崖のような景色を意識して今回新発見の視点を現地で確認します。
以上の考察と実際の地形から、1,375m付近(PosA)の黒岳南尾根筋と1,130m付近(PosB)の黒岳南尾根筋の二ヶ所に上画全ての御坂峠視点が絞られます。
甲斐御坂越の視点推定位置(PosAPosB)
マークした二点間を基準に尾根筋に視点があると予想できる
1,375m付近(PosA)
現地Googleシミュレーション
1,130m付近(PosB)
現地ドローン撮影
コラム:じつに難解な御坂峠の特定(富士山みちしるべより)
 
ここで取上げた御坂峠視点の三枚の画が同じ場所から描いているであろうことは理解してもらったでしょうか?その中でも「富士山みちしるべ」は画の写実性が高く、御坂峠視点を特定するのに何度も眺めてみていました。そのため最後には「この画の場所を探すこと」が目的となってしまい、「この画が正解」だと思うようになりました。
あげく、富士山みちしるべの構図配分は御坂山から見た構図に一番近く、御坂峠ではないけれど、御坂峠付近で描いた画だと振出しに戻ってしまうのです。特に画の左側(鵜ノ島より左)の一致度は驚くべき精度で当時の風景をほうふつさせます。しかし、右の景色はあまり一致していません。そしてまた冒頭に戻り、視点位置はグルグル巡ってしまうのです。
 何故、このようなことが起こるのか?理由は簡単です。本項で行う視点位置特定場所の延長線上に御坂山が位置するためです。冒頭のエリアプロットを見てもわかると思いますが、見事に新しい視点位置と御坂峠は延長線上で一致するのです。とにかく富士山みちしるべに描かれている富士山山頂位置はもっとも悩ましい存在です。
もしかすると、この地形的特徴が分かっていて「富士山みちしるべ」が組みあがっているのでしょうか?
「富士山みちしるべ」は右と左とで描いた視点位置が違うのでしょうか?
 



 
 様々な推理を行い広重の御坂峠視点を検証しましたが、全体を通して私自身の中にしっくりこない部分が残りました。それは、候補が二ヶ所と絞られていないことも一つの要因ですし、何より、全体から受ける印象に違和感があるのです。これは北斎の視点調査を行ってきた経験から一種のカンというものなので説明は難しいのですが、つまり、「こんなに標高の高い場所で富士山を描くのだろうか?」という疑問なのです。確かに黒岳と河口湖を繋ぐルートとして江戸時代にもこの視点位置を通る道があったと思われます。しかし、そのルートを踏破するには特殊な環境下であり、遠く江戸の人がわざわざ歩くのは無理があると思われます。
北斎の視点考察でも述べていますが、江戸時代の絵描きはそんなに特殊な場所に赴いてスケッチしていないというボンヤリした確信が違和感となって現れてきました。つまり、里から離れた風光明媚な場所に身を置いてスケッチするという行為は現代人の感覚であるということです。昔の人は好んで人気のない場所に行かないと思うのです。
 そこで、「A」の検証部分を大胆にもっと里の近くへと移動して考察してみます。標高でいうと1,000m付近にある長崎トンネル後方奥の小山です。もちろん、検証方法は今まで説明してきた方法を拡張して当てはめてみます。特に「B」の検証が想定範囲から外れてしまいましたので慎重に行いました。
「何故、長崎トンネル付近の小山に目標を定めたのか?」なのですが、この小山は湖の増水があると湖岸の道が歩行困難になり、河口〜大石を連絡する山越えルートとして当時良く活用されたに他なりません。要するに、隣村との往来をするのに標高の高い場所を迂回するわけがなく、最小の疲労度で往来できるルートを確保してあるということです。
1,000m〜1,050m
富士山の稜線は羽根子山の上、足和田山の下部に掛かるくらいで重ね、上画と同じように配置する。意外と良い感じの視点位置が偶然見つかった

標高は1,050m付近(PosC)で、長崎トンネルの後方に当たる小山の稜線
新しい考察による甲斐御坂越の視点(PosC)
富士山道しるべ(1860) 船津今昔物語版より
1,050m付近(PosC)現地ドローン撮影 歌川広重:甲斐御坂越

 いかがでしょうか?前景のイメージは大きく変わりましたが、それ以外のパーツは標高の高い場所から見た風景より違和感が無いかと思います。特に右側にある足和田山周辺の風景が自然と画に会っていますし、左側の河口集落の感じも画に近いのではないでしょうか?
補足しますと、当時の湖畔は埋立ての関係で今よりもっと後退しているのと、湖の水位も今より高かったということを留意してください。

以下に他候補も掲載します。
あなたはどの構図が「甲斐御坂越」に近いと思いますか?

1,375m付近(PosA)現地Googleシミュレーション 1,130m付近(PosB)現地ドローン撮影

御坂山(旧御坂峠東)ドローン撮影

西川林道ドローン撮影

930m付近(PosC下の小山)
長崎トンネル山頂付近から
 もし、この考察(PosBPosC)が正しいのなら広重の画の意味は以下のようになると想像できます。
往来している人々は地元の民かもしれません。河口と大石を繋ぐ要路を行き交う人々を描いています。中央の人と登ってきた人は顔見知りで挨拶しているようにも見えます。もちろん、この場所は湖と富士山が開けた場所として認識されており、旅人にも(富士山道しるべなどで)知れ渡った場所であったと思います。もしかすると中央の人は、甲州八代から大石峠を越えてここまで来、これから河口を経由してから霜山を越え籠坂に向かう途中の人かもしれません。雰囲気から、大石から河口に向かっているように見えます。旧御坂峠を越えていないわけですね。それでもこの場所は広重の中では御坂峠なのでしょう。
通説を修正するとしたら、「この場所は大変な峠を登ってきたわけでは決してない」ということです。それでも江戸の人は「御坂峠を勝手に想像し、苦労の果て眼下の絶景」と思うのでしょうか?新たな妄想は止まりません。
 
コラム:御坂峠、三坂峠
 さて現在、地元の人も忘れている事実があります。それはかつて「御坂峠」と「三坂峠」の両方が存在していたということです。現在はその一方である「三坂峠」の存在は忘れられ、「三坂=御坂」という認識に変わってしまったと思われます。これが全ての混乱の元なのです。
 まず、御坂峠は現在の旧御坂トンネル上に位置する一般的に知られる御坂峠なので説明は割愛します。そして、もう一方の「三坂峠」はまざに本項で発見した広重の「甲斐御坂越」の視点位置に他なりません。

←その前に「富士山みちしるべ」の右を良く見ると「三坂嶺」と書かれています。

従来の解釈では「御坂山塊の一部」が描かれていると思われていましたが、今回の新解釈では広重の視点位置から見える尾根沿いであると思われます。つまり、「三坂嶺」は大きな部分で御坂山塊に間違いはありませんが、当時の感覚で言うと御坂とは別の三坂の一部であると考えられます。
ここで地元の人に聞き込みを続けると、今回特定した視点位置付近は「三つの山の尾根が合流する地点」であり、その合流地点を「三坂峠」と呼称しても違和感がないそうです。
つまり、広重は自身の描いた場所を「御坂峠」と呼称するものだと思っていましたが正確には「三坂峠」ではなかったのかという疑惑が生じます。
「富士山みちしるべ」のみの証拠で広重の「甲斐御坂越」は「三坂嶺あるいは三坂峠」の間違いであると断定すると「そんなわけはない」という人もいる可能性がありますので、もう一つ証拠を挙げたいと思います。それは江戸時代末期に高精度の地図を作製した伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」です。彼らの残した地図には河口湖周辺の地図も残されており、その地図を見たいと思います。
ご覧の通り、大日本沿海輿地全図にも別々の場所に「御坂峠」と「三坂嶺」が記されています。
よって、広重の「甲斐御坂越」の視点位置を特定すると三坂嶺付近となり、本項の検証と一致します。

ちなみに葛飾北斎の「甲州三坂水面」は「三坂」という名称を用いていることが面白いのですが、広重の「甲斐御坂越」と構図は大きく異なっています。この考察は別項で行っています。
 
広重さん、「甲斐御坂越」は河口湖湖畔の里山(三坂嶺)から見た景色だったんですね。
今後、現地調査でPosA,PosB,PosCから候補を一ヶ所に絞ります。

マウスのボタンを押しながら現地の360度ビュー操作できます。

1,180m付近上空(PosB)現地ドローン撮影

 
マウスのボタンを押しながら現地の360度ビュー操作できます。

 

絵・写真・動画・文:久保覚(富士五湖TV)
資料:国立図書館・国土地理院・wikipedia
使用ソフト:カシミール・GoogleEarth
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