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甲斐御坂越(冨士三十六景)の解説
歌川広重の富士山はどの場所から?の謎解き |
by
Fujigoko.TV
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甲斐御坂越(冨士三十六景)の視点 |
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〇広重の描いた御坂峠は本項の主旨ですので以下に検証を続けていきます。 |
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明治43年河口湖増水時の産屋崎 |
現在の河口湖の産屋崎 |
左の画像は河口湖増水時のものですので道があった場所が水没しているが、今も当時の風景を留めていることが分かる。 広重の画では「D」に相当。 |
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A: |
富士山の稜線が足和田山に掛かっていることから、標高の高い場所から見ているのでは無いと分かります。例えば、1,500mを超える御坂尾根から富士山の稜線を見ると足和田山より高いところを富士山の稜線が横切ることになります。つまり、足和田山と富士山の稜線の重なりを観察すると、どの高さから見た景色か判明します。しかし、Aのコブの様なものは足和田山の山頂に見えますが、遠く富士山の大室山の重なりの可能性もあります。よって、視点の高さは二つの候補が付きまといます。
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1,660m〜 足和田山の山頂より高く富士山稜線が通るため、上画のどれにも当てはまらない。 よって、標高1,500m以上の視点は無視できる。
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1,370m〜1,400m 足和田山山頂と富士山大室山が重なるように見えるため、大室山は足和田山の一部のように勘違いされるかもしれない。
可能性は少ないが、大室山が足和田山の一部と勘違いしている視点候補として記録しておく---PosA。 |
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1,125m〜1,200m
足和田山に富士山稜線が重なって見える範囲で、富士山稜線と足和田山が上画のような比率で重なる視点の標高は1,130m付近である---PosB。
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B: |
青い線のように特徴が並んで見える視点位置のエリアを地図にプロットします。 |
C: |
赤い領域のように見える視点位置のエリアを地図にプロットします。 |
D: |
緑色の線のように特徴が並んで見える視点位置のエリアを地図にプロットします。 |
E: |
オレンジの領域は現在の八木崎だと推定し、エリアを地図にプロットします。 |
F: |
白丸のエリアが上記A〜Eの共通部分(色の重なりが濃い部分)で、この範囲に甲斐御坂越の視点があると推定できます。 |
G: |
絵にある丘か崖のような景色を意識して今回新発見の視点を現地で確認します。 |
以上の考察と実際の地形から、1,375m付近(PosA)の黒岳南尾根筋と1,130m付近(PosB)の黒岳南尾根筋の二ヶ所に上画全ての御坂峠視点が絞られます。 |
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甲斐御坂越の視点推定位置(PosAとPosB) |
マークした二点間を基準に尾根筋に視点があると予想できる |
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1,375m付近(PosA)
現地Googleシミュレーション |
1,130m付近(PosB) 現地ドローン撮影 |
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コラム:じつに難解な御坂峠の特定(富士山みちしるべより) ここで取上げた御坂峠視点の三枚の画が同じ場所から描いているであろうことは理解してもらったでしょうか?その中でも「富士山みちしるべ」は画の写実性が高く、御坂峠視点を特定するのに何度も眺めてみていました。そのため最後には「この画の場所を探すこと」が目的となってしまい、「この画が正解」だと思うようになりました。
あげく、富士山みちしるべの構図配分は御坂山から見た構図に一番近く、御坂峠ではないけれど、御坂峠付近で描いた画だと振出しに戻ってしまうのです。特に画の左側(鵜ノ島より左)の一致度は驚くべき精度で当時の風景をほうふつさせます。しかし、右の景色はあまり一致していません。そしてまた冒頭に戻り、視点位置はグルグル巡ってしまうのです。
何故、このようなことが起こるのか?理由は簡単です。本項で行う視点位置特定場所の延長線上に御坂山が位置するためです。冒頭のエリアプロットを見てもわかると思いますが、見事に新しい視点位置と御坂峠は延長線上で一致するのです。とにかく富士山みちしるべに描かれている富士山山頂位置はもっとも悩ましい存在です。 |
もしかすると、この地形的特徴が分かっていて「富士山みちしるべ」が組みあがっているのでしょうか?
「富士山みちしるべ」は右と左とで描いた視点位置が違うのでしょうか?
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御 坂 山 よ り |
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様々な推理を行い広重の御坂峠視点を検証しましたが、全体を通して私自身の中にしっくりこない部分が残りました。それは、候補が二ヶ所と絞られていないことも一つの要因ですし、何より、全体から受ける印象に違和感があるのです。これは北斎の視点調査を行ってきた経験から一種のカンというものなので説明は難しいのですが、つまり、「こんなに標高の高い場所で富士山を描くのだろうか?」という疑問なのです。確かに黒岳と河口湖を繋ぐルートとして江戸時代にもこの視点位置を通る道があったと思われます。しかし、そのルートを踏破するには特殊な環境下であり、遠く江戸の人がわざわざ歩くのは無理があると思われます。
北斎の視点考察でも述べていますが、江戸時代の絵描きはそんなに特殊な場所に赴いてスケッチしていないというボンヤリした確信が違和感となって現れてきました。つまり、里から離れた風光明媚な場所に身を置いてスケッチするという行為は現代人の感覚であるということです。昔の人は好んで人気のない場所に行かないと思うのです。
そこで、「A」の検証部分を大胆にもっと里の近くへと移動して考察してみます。標高でいうと1,000m付近にある長崎トンネル後方奥の小山です。もちろん、検証方法は今まで説明してきた方法を拡張して当てはめてみます。特に「B」の検証が想定範囲から外れてしまいましたので慎重に行いました。
「何故、長崎トンネル付近の小山に目標を定めたのか?」なのですが、この小山は湖の増水があると湖岸の道が歩行困難になり、河口〜大石を連絡する山越えルートとして当時良く活用されたに他なりません。要するに、隣村との往来をするのに標高の高い場所を迂回するわけがなく、最小の疲労度で往来できるルートを確保してあるということです。 |
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1,000m〜1,050m
富士山の稜線は羽根子山の上、足和田山の下部に掛かるくらいで重ね、上画と同じように配置する。意外と良い感じの視点位置が偶然見つかった
標高は1,050m付近(PosC)で、長崎トンネルの後方に当たる小山の稜線。 |
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富士山道しるべ(1860) |
船津今昔物語版より |
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1,050m付近(PosC)現地ドローン撮影 |
歌川広重:甲斐御坂越 |
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マウスのボタンを押しながら現地の360度ビュー操作できます。
1,180m付近上空(PosB)現地ドローン撮影
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