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神社仏閣

コテージ 戸沢センター
富士山の絶景が望める展望風呂を4棟完備

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冨士御室浅間神社(里宮・本殿)
http://www.katuyama.info/kanko/sengen.html

神社仏閣 文化財 ビューポイント

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神社の建立は、文武3年(699)に藤原義忠公によって勧請され、富士山中で最古の神社と言われている。
本宮は吉田登山道2合目に鎮座し、河口湖畔の勝山村内「里宮」がある。戦国時代には武田三代の敬信を厚くうけ、関係古文書も数多く所蔵。武田信玄奉納の「安産祈願文」と「勝山記」は特に有名。神社には900年以上の伝統のある「やぶさめ祭り」が伝わり毎年4月29日に盛大に開催される。里宮境内に移築された本宮の本殿は、数少ない桃山時代の特色ある建造物として国の重要文化財。

『本宮』は富士山吉田口登山道二合目(神域10ヘクタール・勝山飛地)に鎮座し、河口湖畔の勝山に『里宮』があります。本宮創建は文武三年(699年)藤原義忠公によって勧請され、富士山周辺では最古のお宮と云われています。
戦国時代には、武田三代の敬信を厚くうけ、関係古文書等も数多く所蔵しております。
信玄公直筆奉納の『安産祈願状』は特に有名です。この他、勝山記等の多くの貴重な社宝があります。神社には900年以上の伝統ある『流鏑馬祭り』が伝わっています。

冨士御室浅間神社祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)本宮は富士山吉田口登山道ニ合目に鎮座し(神域約10ヘクタール・勝山飛地)富士山北室とも呼ばれています。
 神社の創建は、文武三年(699年)に藤原義忠公によって勧請され、富士山中最古の神社と云われています。
この神社は、戦国の武将・武田家の祈願所としても崇敬が厚かったため、武田家三代の関係古文書も数多く残されています。

本殿は、一間社入母屋造、向拝唐破風で、透かし掘りの彫刻が特長で、豪華豊麗な数少ない桃山時代の特色ある建物として、国の重要文化財に指定されています。
昭和49年に富士山二合目から里宮境内の現在地に移築されました。
里宮は、天徳二年(958年)に村上天皇当代、大原七郷氏子の札拝儀祭の利便のため、河ロ湖畔の風光佳麗な現在地に建立されたものです。

冨士御室浅間神社(2合目)
http://www.katuyama.info/kanko/sengen.html

神社仏閣 文化財 ビューポイント

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神社の建立は、文武3年(699)に藤原義忠公によって勧請され、富士山中で最古の神社と言われている。
本宮は吉田登山道2合目に鎮座し、河口湖畔の勝山村内「里宮」がある。戦国時代には武田三代の敬信を厚くうけ、関係古文書も数多く所蔵。武田信玄奉納の「安産祈願文」と「勝山記」は特に有名。神社には900年以上の伝統のある「やぶさめ祭り」が伝わり毎年4月29日に盛大に開催される。里宮境内に移築された本宮の本殿は、数少ない桃山時代の特色ある建造物として国の重要文化財。

水天宮・三魂交通神社
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水と子供を守護し、水難除け、農業、漁業、海運、水商売、また安産、子授け、子育てについて信仰が厚い。

北口本宮冨士浅間神社
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垂仁天皇の御代、救命をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったのがはじまり。
延暦7年創建。老杉のうっそうと茂る杜には荘厳華麗な本殿と東宮、西宮本殿(三殿とも国の重要文化財)や60年に1回建て替える朱塗りの大鳥居、巨大な杉のご神木(天然記念物)などを拝している。

景行天皇40年(110年)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に富士山を遥拝したのに始まるといい、また垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もある。延暦7年(788年)、甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営した。

元和元年(1615年)、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(1688年)に社殿が造修された。一時荒廃していたが、享保年間になって、富士講の行者であった村上光清が私財をなげうって再興し、以後、富士信仰、特に富士講の参詣者を集めた。

山中浅間神社
http://www.suwajinja.com/sengen.htm

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諏訪の森と呼ばれるうっそうとした林に囲まれて立つ。村上天皇の勅命で建立されたと伝わる由緒正しい。山中諏訪神社とは国道をまたがる橋で結ばれている。
平安時代の承平元年(西暦931)、郷民社殿を造営し、三柱の神(木花開耶姫命、天津彦々火瓊々杵尊、大山子祇命)を勧請して奉ったことが、山中浅間神社の始まりです。 江戸時代に入り、寛政四年(1792)十二月二十日には日本殿、雨屋、拝殿を再建し、石灯籠の建立をなしました。ところが、大正八年(1920)の火災により、全社殿を焼失。同十二年に再建され、その翌年には手水舎神興殿が新築されています。 昭和四十七年(1972)には社殿(五十坪)が鉄筋コンクリート屋根銅板葺の荘厳な建物に改められ、建物新築後には手水舎神興殿も再建され、現在に至っています。

富士小室浅間神社(下浅間神社)
http://www.fgo.jp/~yabusame/

神社仏閣 文化財

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本殿の北側にある「かつらの木」は、根廻り13m、樹高28m、枝張東西15m、南北14m、樹齢600年と推定。
社伝によると人皇第五十代桓武天皇の延暦十二年、征夷大将軍坂上田村麿が東征の折り、此の地より、遙かに秀麗なる冨士の山容を拝し戦捷を祈請、数々の苦難災いを断ち四年にして大勝のうちにその功業を収めたので神護を謝し社殿を草創したという。時に大同二年(皇紀一四六七年・西暦八〇七年)の昔である。

由来当神社への崇敬は武士、庶民の間に洽く篤く、中世は武田家の祈願所として尊信あり。

古くは上吉田及び松山三村を含む富士山北口登山道沿線の産土総鎮守(土地の守り神様)です。

「後に各村で浅間明神を一祠に祭るが、今も猶上吉田には子生まれて百日の後社参するに、先ず下宮へ参詣す」と「甲斐国志」に記されています。

当神社の社号は、最も古い記録では「宮」と記され、時代が下り近隣各村で浅間神社が祀られるようになると「下宮浅間神社」「富士下宮浅間宮」と呼称されていましたが、明治期に入り現在の「小室浅間神社」と改称されるようになりました。

「小室」とは、そこに神霊が常在するの意で、浅間信仰中独自の位置づけを持つものであり、その侭山の神、田の神信仰及び氏神信仰と重層する形で、当神社への崇敬が展開されてきたところに年間の諸祭祀が位置づけられています。

又、市内の中心に位置するところから、年間の諸祭事に参詣者多く愈隆昌のうちにある由緒深き神社であります。

魔王天神社
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本殿が無く、拝殿のみの珍しい神社で、武神である経津主命を祀っている。
「魔王」という変わった神社の名称、おびただしい奉剣のある、神秘的な雰囲気を もった神社として、例祭日には、神楽が奉納され古代信仰の研究者がしばしば訪れます。
◆特色
祭神経津主命(ふつぬしのみこと)例祭日 4月18日。
4月18日、村では、通玄寺の大般若会と魔王天神社の祭りが同じ日に行われます。「魔王さま」では、保存会のメンバーによる太々神楽が、12座にわたり舞われます。
また、子供みこしの小学生や、保育所の子どもたちが神社の長い階段を上りお参りに訪れると、神楽人の笛の音は前にも増して高くなり、仮面劇の振りも一層大きくし、祭りの雰囲気を盛り上げます。
◆文化財指定
昭和56年9月21日 村文化財指定

日本社寺明鑑によると「八代郡下部熊野神社の亥方<西北北>十間の所にあり、承和三年(836年)に修理、大夫正信が創建。享禄元年(1528年)(*2)」神慮により現社地に遷宮す」 とある。また、この社中に古太郎坊という小祠があり、後に富士の中腹、小御岳に遷して小御獄権現と称したとある。

魔王の山をご神体として拝礼するため本殿は無い。村では魔王大六天(オダイローサマ)と親しみ、台風などで農作物に風の被害が予想されるときには風の神に無事を祈った。

本栖山神社
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本栖湖の近くにひっそりとたたずむ。
本殿は天命元年(1781年)8月29日造営、拝殿は文化3年(1806年)に建築された。口碑によると往古は江岸寺の鎮守だっととも言われている。
神社の創建や由来は詳かではないが、祭神は大山?命。元治元年(1864年)に東照権現が合祀されたといわれている。
毎年5月17日に行われる公家行列は、武田時代にこの地で駿河国境の警護に当たっていた渡辺ひとやのすけが始めたといわれ、300年ほど前から山神社に伝わっている。

春日神社
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平安時代後期長元元年(1028年)の建立とされている。鳴沢村の集落を手前とした富士山の眺望はすばらしく、写真撮影の絶好ポイントである。
ひなびた神社ですが、本殿の彫刻装飾には、すばらしいものがあります。社殿裏にひっそり建つ小祠(苗字神)が村の信仰のあつさを物語ります。
◆特色  
祭神 天児屋根命 例祭日 4月18日。
鳴沢地区の産土神で「春日さま」と言われ親しまれています。本殿は長暦2年(1038)に造営され、その後、明和8年(1771) に再建されています。この社殿の彫刻は優れた技量によるものといわれています。また拝殿には、「天王さま」と「山の神」の社殿があわせて祀られています。簡素ながら古さを感じます。
◆文化財指定
昭和56年9月21日 村文化財指定

小御嶽神社
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富士山吉田口五合目(小御岳)に鎮座。磐長姫命(木花咲耶姫の姉)を祭っている。小御岳は現在の富士山が形成される以前の山であり、山岳信仰の霊地として今より千年以前の承平七年に創建されたものと伝わる。また、五合目にあるお宮は、以前は鳴沢村にある魔王天神社にあった古太郎坊(こたろうぼう)という小祠(しょうし)を、遷座し小御岳権現と称したものが元になっている。
御祭神
本社:磐長姫命、摂社:福の神…事代主命・大国主命、末社:大天狗・小天狗

小御岳は富士山より先に出現した山で鎮座し、山岳信仰の霊地として今より千年以前の承平7年に創建し、信仰者の寄進により昭和50年に神明社殿が竣成、千木高く勝男木光る小御岳として富士山第一の大社となりました。

富士山の信仰
富士山崇拝は種々の形式で存続されてきた。江戸時代の初期に「富士導者」登山の団体が結成され、長谷川角行尊師は人穴にて修行し富士に登山すること128回難行苦行をなし、106歳まで長命した。
6世身緑尊師となり、油の行商をしながら富士教の道を布教し登山を怠ることなく、江戸に808講とまでいわれるほどに広がり関東全域に信者が増え富士講隆盛時代を築き上げた。明治、大正時代も引継ぐ信仰の山として現在は気楽に富士スバルラインで五合目まで車上で数百万人を数え当社に参詣祈念し、富士山大社の大神の恵みを授かり、夏山には五十余万人の人々が山頂を極め、山岳信仰として六根清浄を唱え神の御心に接することこそ富士山信仰としての貴い道であり。すなわち日本人の心である。

富士山を巡るレイライン
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神社仏閣

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富士五湖の神社を考察。
・春分秋分・日出日没
 白山-諏訪大社-鹿島神宮
 出雲大社-元伊勢-伊吹山-富士山-寒川神社

・夏至日出・冬至日没
 阿蘇-矢吹-諏訪大社-日光
 霧島-伊勢神宮-豊川神社-富士山-皇居

・夏至日没・冬至日出
 日光-鹿島神宮
 諏訪大社-寒川神社
 矢吹-豊川神社
 元伊勢-伊勢
 出雲大社-熊野

・諏訪神社
 諏訪大社-精進湖諏訪神社-大室山-富士山-(宝永火口)-三島神社-大室山
 諏訪町-ふじみ野市-山中湖諏訪神社-富士山
 榛名山-諏訪山-河口湖諏訪神社-小御岳-富士山

・浅間神社
 須走浅間神社-冨士御室浅間神社-山中湖浅間神社
 本栖湖浅間神社-冨士御室浅間神社-魔王天神社

 山中湖浅間神社-冨士御室浅間神社-忍野浅間神社
 魔王天神社-冨士御室浅間神社-(里宮)冨士御室浅間神社

 忍野浅間神社-冨士御室浅間神社-北口本宮冨士浅間神社
 (里宮)冨士御室浅間神社-冨士御室浅間神社-北口本宮冨士浅間神社

旧角田医院建物
https://www.fujigoko.tv/viwp/kakuta/index.html

アナウンス

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富士吉田西裏にある立派な建築物。贅を尽くした構造物は一見の価値あり。
1928年(昭和3年)に建築され、当時甲斐絹の織物の町として栄えた富士吉田市で接待をする高級料亭として使用されていた。1943年に廃業し、その後1945年から現在の施主の祖父が初代院長として角田医院(1986年移転)を開業し、地元の診療を行う場となった。

外観は神社仏閣のような造りであり、雨戸などにも彫刻が施され、通りから覗ける部分だけでもその姿は異彩を放つ。延べ床面積340平方メートル、二階部分は料亭当時の雰囲気を残しており、障子や襖の寄せ木細工風の松風菱などの細工に目が奪われる。天井は漆塗りの二重格天井で古い照明が下がっている。また、立派なイチイの木の床柱があり、正面には山梨中央銀行(当時第十国立銀行)から送られた中村不折の大きな書が目を引く。部屋の反対側には忠臣蔵の一場面、撞木町で遊びほうける大石内蔵助のシーンが再現された彫刻がある。

一階部分は診療所と使われていたが、大きなケヤキの一枚板を使用した玄関は往年の風情を忍ばせる。また玄関入り口の鯉をあしらった彫刻など立体的な造形は心奪われるほど見事。ちなみにライオン宰相として有名な濱口雄幸首相がその場で書いたといわれる書もある。

とにかく、芸術文化に乏しい富士吉田の中でも異彩を放つ物件であることに間違いはない。

富士山頂上浅間大社奥宮
http://fuji-hongu.or.jp/

神社仏閣 登山

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表口(富士宮口)から上りつめたところの山頂に鎮座します。御祭神は浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を主祭神とし、相殿神として父神大山祇神、背の君瓊々杵尊をお祀りします。
7・8月の開山期には、神職が奉仕し、国家安泰、氏子・崇敬者・登拝者の安全を祈念するほか、家内安全等の諸祈願、結婚式の奉仕、お札・お守りの授与、金剛杖・行衣等の御朱印の授与も行っています。

山中諏訪神社
http://www.suwajinja.com/

神社仏閣

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天文21年(1552)に武田信玄公が戦勝を祈願するために再建。1間社流造りの本殿を持つ貴重な文化財。別名山中明神とも呼ばれ、主祭神の豊玉姫命が安産だったことにちなんで、安産と子育ての神として信仰されている。秋の「山中明神安産祭」が有名。
人皇十代崇神天皇の御代七年(西暦104)、国中に疫病が蔓延。勅命をもって土人創杞しましたが、これが山中諏訪神社(山中諏訪明神)の起源を伝えられています。第六十二代村上天皇子御代の康和三年(966)には、村人が開墾の守護神として、諏訪大明神を奉りました。時代がさらに進んだ天文二十一年(1552)には甲斐国守護武田晴信公が、相模国北条氏との合戦に際し、当神社に御加護を請い奉らんと、本殿を造営寄進しました。貞享元年(1684)には本殿を修築、以来、安産子授けの守護神として崇敬されてきました。九月の「山中明神安産祭り」は、全国的に有名です。

忍草浅間神社 (忍野浅間神社)
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/index.html

神社仏閣

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鳥居をくぐると、左右に大きなわらじを下げた随身門と向き合う。近くのお宮橋は桜の名所。
門の両側には鎌倉時代を代表する金剛力士像が「阿吽」の鋭い形相でにらむ。檜皮葺の本殿には富士の祭神木花咲耶姫命をはじめとする三神像が祀られている。

創建は大同2年(807)。源頼朝の富士の巻き狩りの折、鎌倉幕府の武運長久が祈念され、社領の寄進があったと言われる。忍草浅間神社がある忍野村には湧水で有名な忍野八海があり、富士の御手洗とも呼ばれる。大正末期頃まで、富士講開祖長谷川角行の富士八湖修業になぞらえた八海巡拝行われていた。また、富士登山をする行者や道者はこの水で禊払いを行ったと言われる。全国名水100選。

八幡神社
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神社仏閣

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村歌舞伎の回り舞台がある珍しい神社で、周辺の杉の大木により、荘厳な雰囲気をかもしだしている。

新屋山神社 富士山金運神社
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俗に金運に強くなる神社、富士山のパワースポットとして有名
神社に詣でると大きな契約が決まったり投資がうまくいったりビジネス運が上向くと言われている。
船井総研の船井幸雄さんが「お金に困ったらここに行くと良い」と一押ししたことで広まった。
新屋山神社の富士山奥宮。

河口浅間神社
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神社仏閣 文化財

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創建は865年。稚児の舞が奉納される「孫見祭り」は4月25日。「太々御神祭」は7月28日、境内の7本杉は県の天然記念物。
富士山は歴史を遡るとたびたび噴火を起こしているが、貞観六〜七年(864〜866初頭)には富士山の大噴火がおこり、人民への多大な被害があった。この噴火では、青木ヶ原溶岩流が流出し、富士山北面青木ヶ原にあった古大湖である、せの海が埋没し本栖湖・精進湖・西湖がほぼ現在の形となった。

噴火の様子を甲斐の国司より朝廷に奏上したところ、翌貞観七年の勅命に依り浅間明神をこの地に奉斎し、富士鎮火祭を行ったのが、河口浅間神社の由来である。そして、醍醐天皇御宇、延喜の制に依り明神大社(延喜式式内社)に列せられる。

境内には樹高40mを超える7本の大杉があり、山梨県の天然記念物に指定されている。

富士山本宮浅間大社
http://www.fuji-hongu.or.jp/

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全国の浅間大社の総本宮。厄除・八方除け・家内安全・身体健全・交通安全・海上安全・大漁満足・登山安全商売繁昌・事業繁栄・操業安全・火難消除・安産・子宝・命名式・初宮詣・七五三詣十三参り・学業成就・成人祝・結婚式・年寿の祝い・神棚・人形の清祓いなど
第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが当大社の起源です。
 その後は姫神の水徳をもって噴火が静まり、平穏な日々が送れるようになったと伝えられています。この偉大な御神徳は、万人の知るところとなり、篤い崇敬を集める事となりました。また、富士山を鎮めるため浅間大神をお祀りしたのは当大社が最初であり、全国にある浅間神社の起源ともなっています。

主祭神 : 浅間大神(あさまのおおかみ)
: 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
相殿神 : 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
相殿神 : 大山祇神(おおやまづみのかみ)

石割神社
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神社仏閣 ビューポイント イベント

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石割山ハイキングコースを石割山に向かっていく途中にある。長い階段を登り、広めの登山道を進む。
社殿背後に大きな石があり、それがご神体という珍しい神社。この岩の隙間をくぐると無病息災のご利益がある。また、岩から染み出る霊水も進行されている。バクチの神でもある。

本栖浅間神社
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正確には本栖湖ではなく静岡県富士宮市の根原(朝霧高原)にある。
雨ヶ岳と竜ヶ岳への登山道分岐の端足峠に向かう途中、鬱そうとした木々の中に静かにある。

新屋山神社
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職人の方や商売繁盛に地元の人が訪れる神社。富士山奥宮は金運神社として有名。
祭神 大山祇命・天照大神・木花開耶姫命。
毎月17日は例祭があり、神官からお祓いを受ける事が出来る。
また、毎年10月17日10:00〜例祭があり、商売繁盛の神として地元で信仰されている。
杜そう林は雁の穴溶岩流の上にあり、富士北麓東部の代表的落葉樹林で極めて貴重(自然記念物指定)。

別に小御岳杜もある。

成沢山通玄寺
http://www.mfi.or.jp/narusawa/shiseki/yahata.htm

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寺内にある観音像には六郷町の氷堂春信作の寄進(千匹馬)絵馬と百一体観音があり、見応えする。観音からの富士山も良い。

大石 護国神社と日月神社
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児童公園にもなっている。

精進湖諏訪神社
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現在の本殿は一間社流造りで、天保14年(1843年)に再建されたもの。この建築の特徴は随所に施された装飾彫刻で、その素材も動植物から中国の故事にいたるまで多岐に渡る。
社有の大杉は山梨県下一で国の天然記念物。諏訪神社の入口にそびえる別名「千年杉」。高さ45m、根回り13.6m。山梨県だけでなく全国的にも有数の大きさ。

河口湖諏訪神社
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県道沿いにひっそりとたたずむ神社

八王子神社
http://www.katuyama.info/

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建立は1186年(文治2年)。本殿は「すさのうおのみこと」と八王子(5男3女神)が祀られている。
文治元年に、地方政情の巡視に京都からこの地に来ていた八検使のうち2名は、滞在中八王子権現を深く崇拝。その心を尊重し、死後に住民の小七郎が八王子権現を祀ったと伝えられている。

筒口神社
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神社仏閣

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建久四年(1193年)水神を祀る。昔、このあたりは筒口と呼ばれ、河口湖の水が吸い込まれる場所だった。のちに塞がれる。
河口湖のほとりにひっそり建つ趣のある神社。付近の散策路は味わいがある。

貴船神社
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河口湖と西湖の間にある。
甲斐国志に「人皇第八十六代御堀河天皇の御代貞応二年(1223)九月二十二日、山城国鞍馬の里よりこの地に遷し奉る」とある。高おかみ神(たかおかみのかみ)は山上の龍神で暗おかみ神(くらおかみのかみ)は渓谷の龍神で何れも雨乞いの神であり、また海運の神でもある。

須走浅間神社 東口本宮冨士浅間神社
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802年(延暦21)に、富士の噴火を鎮めることを願って創建された古社で、江戸時代後期に再建された社殿が歴史を感じさせる。境内はそれほど広くはないが、杉の古木に囲まれ荘厳な雰囲気。県天然記念物の神木・ハルニレの巨木、溶岩に鎮座する狛犬、信しげの滝など、みどころも多い。須走口登山道の起点でもある。御鎮座1200年を記念して資料館が開館され社宝や富士信仰関係の資料が保存展示されている。
桓武天皇の延暦21年(802)、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず、人々は恐れおののいて仕事も手につかない日々が続きました。依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うため富士山東面須走の地(現在の社地字日向)に斎場を設け祭事を行いました。すると翌年4月初申の日に噴火が治まりました。
翌年、平城天皇の大同2年(807)、その鎮火祭の跡地、すなわち今の社地に鎮火のお礼のため社殿を造営したと伝えられています。この場所がやや平らであったために、土地の人々が早くからこの小祠を祀ったものと思われます。
 当社は、各登山道浅間五社の一社であり、全国1316社の本社一つであります。氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬をあつめています。

主祭神は木花開耶姫命、大己貴命と彦火火出見命

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