終章


翌檜(あすなろ)

 季節は過ぎ、時は巡り、人それぞれの道を歩む。
「なろう、なろう、あすなろう」
イーストもクリエイトも終わったこと…。
「なろう、なろう、あすなろう」
……。

 「もしもし、鈴木建設ですがDrawingのことで問題がありまして…ちょっと聞きたいことがあるのですけど…」
1998年8月、私のもとに1本の電話があった。イーストを退社してから1年以上、イーストを過去のものにしてから既に半年経っていた。
どうやら、過去というものは簡単にリセットできない代物らしい。誰もが過去に恩恵を受けたり、苦しめられたりしている。どうせリセットできないのなら、昔とった杵柄っていうのが楽な道だ。
 Drawingは1年以上忘れ去られている。どうやら、電話の内容はDrawingの件だ。しかもそれは面倒な用件を暗示していた。
「はい、何でしょうか…?」
Drawingに関して様々な憶測が頭の中で交差していた。今ごろになってバグ修正依頼なのか、はたまた鈴木建設で何か問題か…?ところが、鈴木建設の人は予想外の質問をしてきた。
「和田さんは隠岐さんにDrawing開発の手助けか、プログラムを渡しましたか?」
つまり、まぁ、こんな質問をされたわけだ。
だから、
「いいえ、手助けしていないし、ソースを渡していません。Drawingのソースは手元に残っているが、確かイーストには無かったと思いましたけど?」
と、このように答えたのだ。

隠岐敬一郎 センチュリー社長 鈴木建設の話では、隠岐会長がとあるゲーム系のソフト会社にDrawingを製作させ、タブレットメーカーに持ち込んだというのだ。ちなみに、このソフト会社はアーケードゲームやイベント等に3Dサウンドを提供している会社だ。
この情報は持ち込まれたタブレットメーカーが鈴木建設に打診して発覚した。過去のDrawingはこのタブレットメーカー用にも動作していたし、私自身も何度か開発の打ち合わせに行っていた。当然、タブレットメーカーではDrawingを知っていた。
 ところが、隠岐会長は持ち込んだソフトをDrawingではないと強調し、タブレットメーカーに対して共同開発をしようと持ちかけた。しかし、タブレットメーカーではどう見ても持参物はDrawingであり、その確認のため鈴木建設に連絡したということだ。
 隠岐会長はイースト崩壊の事実をゲーム系ソフト会社に告げ(というより既に知っていたと思われる)、Drawingの製作を依頼した。その際、Drawingの版権はクリアしていると製作ソフト会社に嘘を言った。漏れ伝わった情報によると、隠岐会長はタブレットメーカーの協力を得ることで持ち込んだDrawingを既成事実とし、鈴木建設に対抗しようとしたらしい。また、鈴木建設社内でDrawingは切られたプロジェクトであるから、何かあっても鈴木建設が無視してくるだろうという読みだったようだ。
 鈴木建設はDrawingに興味が無かったようであるが、ソフトを持ち込んだ人物が隠岐会長だと知ると態度を一変させた。鈴木建設にとって隠岐会長は癌のような存在だったのだ。それだけが理由ではないと思うが…。
 以上のような経緯を私は鈴木建設の電話で知った。

 当初、隠岐会長と製作ソフト会社の言分では、持ち込んだソフトはオリジナルであり、1から製作したと証言していた。しかし、イースト崩壊後あまりに短期間でソフトができたこと、基本機能がDrawingそのものであることから鈴木建設は調査をすることにしたようだ。誰が見ても盗作なのは確実なのだが…。
そして、この件の結末は少し時を待たねばならない。

 一方、同時期に木藤専務の噂が流れてきた。どうやら、彼は昔のDrawing販売先に出向き、密かにサポートを行っているというのだ。つまり、出力機器の追加やバグ対応を内緒で行っているということらしい。
そして、技術面の対応を徳田がその都度アルバイトで行っているというのだ。
だが、これは噂の域を出ない…。

木洋一 鈴木建設計算機部部長 関連会社役員 鈴木建設の高木部長と話した。
「僕たちが情熱をかけてきたDrawingが他の人たちの食い物になっている…」と。
私も湯川も高木部長もDrawingをなんとかしたいと思っている。不幸な境遇ではなく、日のあたる場所に出したい。そのために今でも関連各社にそれとなくDrawingを打診したりしている。Windows用に認識部分のDLLエンジンも製作した。我々も過去を引きずっているのだ。
つまり、正当な流れでDrawingを育てようとしている。そんな思いがDrawingに対してある。それなのに影でコソコソDrawingを食い物にする連中もいるということだ。

 会社が崩壊しても製品や技術は残る。それに従って内部にいた人間も成長している。
つまり、過去というのは現在や未来に通じる大切な要因のようだ。会社が崩壊しても自分には残されるものがある。様々な経験と技術力だ。それらをきっちり向上させてきたのかを過去の自分に問い掛ける…。
 逆に失ったものもあるだろう。しかし、それは何だ?
色々考えてみる…。
会社の中で培ったポジションや待遇、会社に所属しているという安心感、社会的待遇、…。
なんだか、せっかく買ったばかりのアイスクリームを食べる前に地面へ落としたのに似た次元のような気がしてきた。自身の技術力に自信があるのなら会社なんて大した問題じゃないじゃないか。アイスクリームならまた買えばよい。
しかし、アイスクリームをすぐに再び買えるかどうかは過去の自分の過ごし方なんだろう。知識を受けるだけのタイプじゃなくて良かった。知識は探訪するものだ。創造し自ら発信を続けるものだ。
ただ、今の自分は昔のような技術者になれるのだろうか?…違う、違う。ならなくてはいけないのだ。もはや自分を守れるのは自分でしかないのだから。

 ところで、現状のDrawingはどのような立場か確認する。
Drawingはイースト崩壊のずいぶん前から鈴木建設との販売契約が切れている。つまり、契約が切れた時点でDrawingは鈴木建設だけのものだ。そして、鈴木建設ではDrawingを主戦から外した。今では一部の鈴木建設社員が私や湯川にDrawingの未来を託している。
 ところがイーストでは、契約の切れたDrawingを1年近く販売していた。隠岐会長は私を通じてDrawingを自分のものにしようとしていた。だが、それも私の反抗を境にイーストでもクリエイトでもDrawingは消滅した。
 木藤専務は過去の顧客を繋いでいる。それはいけないことではない。しかし、クリエイトの問題を逃げている限り、過去の清算は終わっていない。Drawingだって闇サポートだ。
隠岐会長に至っては更に卑劣だ。盗人と同じ行為だ…。

 さて、隠岐会長の件に進展があった。鈴木建設の調査が完了したらしい。
が、調査の必要も無かったということだ。隠岐会長の持ち込んだDrawingは確かにレイアウトやメニュー形式が違っていた。しかし、内部処理(コア)は変更していなかったらしい。
通常、2つのシステムの内部処理の同一性を証明するのは困難だ。ところが、実に簡単に判明したと鈴木建設の担当者が話してくれた。
「どうやってわかったのですか?」
「いやぁ〜、ププププ…」
妙に答をじらしている…?当ててごらんという態度だ。私は真面目に技術的側面から正解を探ろうとしていた。が、どれも正解ではなかった。
「…長井部長のおかげですよ。あんな低レベルなバグをシステムに埋め込めるのは長井部長しかいませんよ」
長井伸之 つまり、Drawing末期のシステムには重大なバグがあったらしい。それは鈴木建設が例のイースト救済のために開発依頼をしてきたバージョンだった。そのため鈴木建設も形式的にシステムを受け取って、判明したバグ報告も行わず、そのままDrawingを封印していたのだ。
そして、隠岐会長の持ち込んだシステムにその時のバグがそのまま埋め込まれていたということだ。

 長井部長の埋め込んだバグ…。
Drawingの推論速度向上を請け負った長井部長は、ナント、推論の途中で[ESC]キーを押すと推論を止めるという荒業で仕様を満たそうとした。発想の大胆さもさることながら、コアにそのような仕掛けを組み込む神経もすごい。だがそれだけじゃない。それだけでもすごい話だが、一旦[ESC]を押すと、その後ずっと推論を止めたままになり、元に戻せなくなる。そう、それは[ESC]を押すとDrawingではなくなるという恐ろしい機能なのだ。さすがに製作ソフト会社も[ESC]を押してみるなんていうディバッグをしなかったようだ。
「長井部長…役に立ったんだねぇ…」
「ねぇ…、わけのわからない機能を付けた上、あんなバグを見逃したまま開発終了するなんて長井部長にしかできませんからねぇ…」
「長井部長って、いったい…?」

 隠岐会長はこの件で言い逃れができなくなり、偽Drawingをどうすることもできなくなったようだ。しかも、開発協力したソフト会社から詐欺扱いを受けた。版権は決着していると嘘を言って開発をさせたからだ。その前にDrawingのコアをほとんど流用しただろうに。
隠岐会長は、そのソフト会社への謝罪として、完成までに要した開発費を全額負担することで話合いは決着したようである。犯罪にされなかっただけマシだ。鈴木建設も事を荒立てなかった。
 私はそれ以降の詳細を知らない。いかほどの金額で決着したのかも知らない。
ただ1つ言える事…。隠岐会長は墓穴を掘ったということだ。常にDrawingで一儲けを企んでいたが、もはやそれもかなうまい。
 結局、彼は何の作戦も無く行動するだけの人で、知恵の無いイーストだけが彼に振り回されてきた。俯瞰して見ると明らかなことが現場の中では見えなかった。

 同じく、1998年8月…。
私と湯川は多くの協力者の力を借りて正式に会社を設立した。つまり、会社物語の当事者になった。
さて、我々が経験したことは役に立つのだろうか?
同じような状況だと同じような行動をしてしまうのだろうか?
私は青年期をイーストとともに過ごしてきた。我々がイーストに対して発言してきた事柄は、今度から我々に跳ね返る。
私は既に若くない。若いときのあの情熱が同じようにやってくるのだろうか?…だから、違う、違う。情熱を燃やさなくてはいけないのだ。
和田信也
 1つのけじめ…。
私は新しい出発を記念して過去の記録を記述するためにキーボードを手にした…。

【イントロダクション】
ある小さいソフトハウスがあった。
会社は順調にのび、バブル期とあいまって順風満帆であった。
しかし、驕りの体質から会社の技術力は落ち、放漫経営になった。
そこに現れたのが、資金と経営援助をしてくれるという人物。
しかし、その実態はアメリカ帰りの胡散臭い人だった。
巧妙に会社は乗っ取られ、その奪回に奔走するアホな旧経営者。
その甲斐無く会社は崩壊。
乗っ取り屋も自分の罠にかかって自滅。
その一部始終を垣間見る記録ページである。

……。

(完)


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