第六章


攻防戦

 東京から戻って、12月29日。世間では年末を迎えて慌しい時期、私は先生でもないのに師走だ…。
まず、貰ったばかりの少ないボーナスを握り締めてパソコン購入のため、パソコンショップへ。Drawingのデータを自宅に保管するためと、これからの事業展開のためだ。
パソコンを購入して自宅へ。まだパソコンが箱に入っている状態で、今度は自分の事務所にワゴン車で急行。
事務所に入り、Drawing関連のデータをMOに吸い上げる。と同時に会社のパソコンのデータにパスワードを打ち込む。
消去したのでは後々都合が悪いからだ。パスワードなら隠岐会長に何か言われてもごまかしが利く。
仮に隠岐会長がなにも言ってこないのならラッキーだ。データは助かるだろう。
 次に自分の私物(ほとんどがそう)をワゴン車に持ちこみ、身辺整理をする。ただし、会社(イースト)を辞めたわけでは無いので、当面の業務に必要な物品は残しておく。もちろん現物支給で購入したパソコンは持ち帰った。
さて、最後はDrawing関連の資料を全てワゴン車に持ちこむ。大型ファイルにして10冊程度。
隠岐会長はDrawingの資料が無いと思っているので都合がよい。それに私の事務所には1度も訪れていないから作業がしやすい。
ついでに本棚と開発用ソフトを持ち出して完了だ。イーストから引き継いだ物品はクリエイトでは把握していない。貰った者の勝ちだ。

 ワゴン車を自宅に戻して、Drawing関連の資料に火を放ち、焼却…。
目の前でメラメラ燃える資料は、私の全てが終わっていくという感傷に浸った。
これでDrawingは終わったのだ。この世の誰も複製は作れない。
唯一、私のMOと会社のパスワード付きのディスクに過去のソースがある。
いや、徳田がソースを持っている。以前、何かの開発時にソースを渡した事がある。
イーストの社内ではソースを廃棄したと大谷部長が言っていた。
まぁ、そんなことはどうでも良い。白須さんの話では、鈴木建設がDrawingを管理するとのことらしい。つまり、私以外の人間がDrawingで何かをした場合、法的措置に出る手はずだ。
鈴木建設とのDrawingの契約は1996年10月に切れた。本当はずいぶん前から切れていたのだが、イーストとクリエイトは期間を強引に延長してきた。
それは私が存在していたからだ。しかし私がイーストとクリエイトを離れる意思を示した事で、鈴木建設はDrawingを封印した。
私がDrawingを開発続行する分には良いが、他の人間が開発を行うことは許さないことになっている。
私という、1個人を信用してもらって、ありがたい事だ。

 一通り資料の焼却を終えると、私は購入したパソコンのセットアップをした。そしてDrawingのデータを自宅のパソコンに移動させた。
私の事務所のパソコンは24時間中動いていて、私からの電話アクセスのみを受けつけるように設定してある。
そこで私は自宅のパソコンから事務所のパソコンにアクセスできるかのチェックをした。
繰り返すが、私はイーストを辞めたわけじゃない。事務所で何らかの作業があっても自宅へデータを転送できるようにだ。
事務所ではデータの入っているパソコンを社員が触ることは無い。そのパソコンはサーバーの役割をしていて、社員はネットワーク上のクライアントで作業をする。
もちろん、Drawing関連にはパスワードが設定してある。私が会社に行かなくてもメールで作業の指示が出来るようにもなっている。
これで準備は整った。隠岐会長は何をしてくるのかわからない。妙な恐怖心もある。
しかし、Drawingが無ければ隠岐会長もただのオヤジだ。

 年が明けて1997年が来た。そして、ちっとも楽しくない正月をすごした…。

 1997年1月7日。
仕事始めの日、私が事務所に行くと若い社員がドアの前に立っている。
私は「どうしたの?」と聞いた。
すると、「ドアの鍵が替えられているようで入れません」と返答してきた。
咄嗟に私は隠岐会長が仕掛けてきたと思った。しかし、若い社員は事情を知らない。
「おかしいなぁ、何かの手違いだから今日は帰って良いよ」と、その場を取り繕って社員を自宅に帰した。
その後、私はその足で事務所の管理人さんの所に行き、事情を聞いてみることにした。
管理人さんの話…。
隠岐と言う人から電話があって、社員が1人辞めたから鍵を交換してほしいと言われ、年末の忙しいときに業者を呼んで鍵を付け替えたとの事。
その日にちが、12月30日。危なかった…
 もう1日行動が遅れていたら事務所に入れなかったかもしれない。さすがに隠岐会長の行動は早い。
と言うより、まさかなぁ…と思いながらDrawingのデータを保全したのだが、まさかと思うことを現実に行動してきた隠岐会長が怖い。
ところが管理人さんは、「あなた事務所の管理者だよね?これが新しい鍵だから…」と私に鍵を手渡した。
うーん…。まぁ良いかぁ…。
和田信也 イースト部長
 翌日、曽根社長が事務所にやってきた。前日、私が鍵の件を報告したからだ。
曽根社長は、「隠岐の奴とんでもないね。ここはイーストの事務所なのに」と私に弁解したいようだった。
私は曽根社長に、私と湯川は隠岐会長に反旗を翻したことを告げた。それを聞いた曽根社長は嬉しそうに喜び、「君たちはイーストの社員だからね。僕が守ってあげるよ」と言ってきた。
「守るって…そんな事は信用できないでしょ?曽根社長も一緒に闘います?そうすれば信用できますよ」
「僕には何もできないんだ…」と曽根社長は弱気に言う。
「だから信用できないの。何も出来ないのに守ってやるはないでしょ?」
「和田君、そんなに責めないでくれよ。お金が無くて弁護士も何もしないんだ」
「やる気の問題でしょ?社長は自分の会社の鍵を勝手に替えられて何とも思わないの?」
「実際、悔しいよ。でも…」
「でも?」
「いや、せっかくここまで来たから飲みに行こうか…」
「えっ?まったく、もう…いいですよ」
「ところでさぁ和田君、実はお金が無いんだ。おごってくれる?んっ。あ、冗談だよ…やっぱり僕は帰ります」
「はいはいはい、良いですよ。おごるから飲みに行きましょう」

 私も、これ以上文句を言う気が無くなった。
こんなにショボクレている社長を目の前にして文句を言う気にもなれない。私達は安い居酒屋に行って隠岐会長を肴に飲んだ。
社長は、自分が今まで隠岐会長に何をされてきたかを赤裸々に私に語った。土下座をした話とかだ。
和田君がクリエイトに行ったんでショックを受けたとも語った。

 私にとってイーストもクリエイトもどうでも良い事だ。準備が出来て退社するまで給料さえ払ってくれていればそれで良い。
目の前で沈み込んでいる曽根社長を見ていながら、私は心でそう思っていた。
そして、「社長、もう引き返す事はできないんだよ…」と、何度も頭の中で自分に言い聞かせるのだった。


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