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映画マトリックスの世界について解説と考察する |
2003年11月5日午後11時世界同時…。 極めて興味深い映画が公開となった。その映画の初回作品は、「なんとまぁスタイリッシュな映画なんだろう」という印象だったが、その随所に見え隠れするオタクさが妙に心に残った。 そして、リローデッド〜レボリューションズ。1作目の内容が平面なら、これらの作品は奥行きと謎を与えた。 謎は多くの人々を混乱させたようだ。私も思った。これって、コンピュータのアーキテクチャのことを知らない人に理解できるのだろうか?仮想現実を離れ、コンピュータを擬人化した世界にまで発展したマトリックスよどこへ行く? |
作品の中で何を言いたいのかを理解するのには共通の世界観の認識が必要だ。 つまり、ここで語るマトリクスの世界観は私の解釈である。 注意:本ページはストーリーのネタバレを含む箇所があります。 |
人類にとって機械は良きパートナーだった。人間はより高性能の機械を創造し、世の中を便利にしていった。 あるとき1体のロボットが不満から人間を殺してしまう事件が発生した。知性があるまでに進化したロボットは裁判を受け有罪となってしまう。この事件を契機として日頃機械に敵意を持っている人間は機械を迫害する。 迫害を受けた機械=マシンは機械だけの国、ゼロワンを作った。ゼロワンで生産される機械は性能が良く、経済力は人類のそれを凌駕してしまった。困った各国は一致団結してゼロワンを経済封鎖してしまう。なんとか誤解を解きたい機械は共存の道を模索するが、人類と戦争状態に突入してしまった。 <ここまでキャシャーンの世界観> 機械は事態の推移に疑問を感じながらも、圧倒的な武力で人類を追い詰めた。人類は、機械の電力が太陽であることから空をナノテクノロジーの雲で覆い地球を闇とした。この時から機械は人間を電池の代わりに使用することを実行。更なる圧倒的な機械軍団の前に人類は追い詰められていく。 マトリクスとは電池として繋がれている人間に仮想の世界を見せるシステム。 最初の仮想空間マトリクスは楽園のような場所で、何も努力しなくても生きていける世界だった。しかし、人類は楽園だけでは満足できる生き物ではなかった。 次のマトリックスは人類の歴史を考慮して進化していく世界を演出しようと決定。アーキテクトがソースを使用し、フローを書きマトリクスをリブート。もちろん、保管されていた人類データは次回のマトリクスに引き継がれる。 そして2番目以降のマトリクス。 楽園で人類が堕落する原因を調査する目的で作られたプログラムのオラクル(オラクルの系譜は、初期分析プログラム→メロビンジアン→オラクルへと進化)は人類を分析する。そこで分かったこととして、人類は自ら選択という要素がなければ満足しないモノだと知る。当然、歴史だけ与えられても選択権の無い世界では人類は堕落していった。 バージョンXXXのマトリックスでは選択しながら人類が賢くなるような世界を演出していた。機械の側に立てば、賢い人類は頭の悪い人類である。賢くなった人類の中には、この世界がおかしいと気づくアノマリー=異端者が急増し始めた。つまりシステムを維持しようとした結果、その分異端者も現れるということだ。 選択のできるリブートを繰り返し、マトリクスは活気あふれるものになっていった。が、一方でアノマリーやエグザイルも増大するのだ。リブートでデータである人類はソースを引き継ぎ初期化されるが、プログラムであるエグザイルは初期化されず時バージョンのマトリックスへ移行する。 最後にソースへ保管される人間は救世主と呼ばれ、特にオラクルの選択肢の結果を尊重して選別された。救世主に任命されたデータは最後にソースへ保管する必要性から特殊な属性を与えられていた。 こうした経緯を経て映画のマトリクスの世代に至る…。この時のマトリクスのバージョンは幾つか分からないが、ネオなる人物は5代目のようだ。 初期の頃のマトリクスでは、アニマトリクスで登場したキッドのように自ら目覚める感の良いアノマリーだけだった。しかし、映画のマトリクスの世代では、コンピュータに精通した人間電池を目覚めさせることに専念する。つまり、マトリクスを理解できるアノマリーが増えてきた。コンピュータに精通したアノマリーは非現実的な動作もマトリクス内で実行できる。つまり理解しているのだ。 ここにネオが登場する…。不思議の国のアリスよろしく、白ウサギに導かれて不思議の国へ旅立った。 マトリクスへの進入はマトリクス設備に近づき、無線によってアクセスする。そして、それはマトリクス内の有線端末、つまり有線電話に接続されている。 話は進んで、救世主となって想像以上に進化したネオは闘いのさなかエージェントスミスをプラグから解放してしまった。その際、スミスに自らの特殊能力の属性を与えてしまった。ネオの特殊能力は救世主の属性であり、両者で陰と陽の関係になる。 そしてリブートの予定が…。 ネオは現実世界で予知能力を得た。その予知夢の中でトリニティーが窮地に陥る様を見る。 メロビンジアンの妨害があったもののネオはついにアーキテクトと会う。 過去の救世主は人類を選んだ経緯がある。つまり、ソースに入りリブートだ。 希望の芽は現実になった。マトリクスの体験を通して、現実世界でネオは特殊能力が使えるようになったようだ。スプーンは無いという言葉は現実世界でもネオを覚醒させた。 そしてレボリューションズ…。 映画はここで全て(とは言えないが)の謎を回収し、予測のできない最終章へ移る。 センチネルを倒したことによって意識を機械に取り残され、ネオはメロビンジアンの子分のトレインマンに捕らわれてしまう。トレインマンの住む世界は機械とマトリクスを繋ぐ関門なのだ。過去に幾つものプログラムがここを通過してマトリクス世界でエグザイルとなっている。キーメーカーも通過中に捕まった。ネオはメロビンジアンと取引した仲間の力を借りてなんとか通過し、マトリクスを経由して無事帰還。 ザイオンは壊滅寸前。一方、マトリクスも壊滅寸前。事はアーキテクトの言うとおりに進んでいく。しかし、意識として機械に進入できる力を得たネオは機械側と共存できる可能性を示した。 トリニティーを失ったネオと機械は取引をする。ザイオンと残った少数の人類のため、機械のためマトリクスをリブートしよう…。機械もプログラム(エグザイル)も救世主に協力する。 機械は約束を守り、ザイオンは絶滅を免れた。次のマトリクスは人類が少数だ。プログラム(エグザイル)たちも残った。 ザイオンを含めた人類と機械とエグザイルは共存できる可能性がある。プログラムにも愛がある。いや、もしかするとネオの属性を取り込んだ愛あるシステムが起動したのだけかもしれない。 最後にネオが何を理解したか…。三者の神になったのか…。答えはこれからだ。 いつかこの空虚なマトリクス内に意識を共存できる人類が多く現れるだろう。残った少数の人類も希望があればプラグを外していいと機械も思う…。あとは機械の生き方、省電力でも生きられる機械自身の問題なのだと意に介さない。 だが、人類はまた愚かになるのだろうか?少なくとも機械はそうはならないとアーキテクトはオラクルに言うのであった…。そう、機械はこれからも自身の不完全さを人の選択から学びシステムに反映し続けることで成長していくのだから。しかし、機械が人間から全てを学び取った瞬間に人間の愚かさも模倣するのだろうか?機械は人間になることが最終目的なのか、それとも神になることが最終目的なのか、それ以前に機械側の壮大な実験はマトリクスを通して永遠に検証し続けるつもりなのだろうか? |
と、ここまでは誰でも分かる制作者の世界観としてストーリーの補強をした。 そこで、コンピュータ的見解… |
さて、マトリックス(MATRIX)とはどのような意味だろうか? コンピュータ業界でMATRIXと言えばズバリ、座標変換の式であり、状態変化の式である。CAD系やCG系のシステムをプログラムしたことのある人には大変馴染みがある言葉である。従って、映画MATRIXを見たとき何となくニュアンスが伝わってくる。しかし、一般の人には分からなかったと思う。一部の解説ではMATRIX=母体とかMATRIX=子宮とかで表現されている。間違いではないがピントが甘いと思うのだ。 ←これがMATIRIXの例。 よって、映画MATRIXのマトリックスは仮想現実のソース【上記例では座標(4,5)】、さらに言うと画面バックに流れている数字記号の羅列をMATRIX変換によって様々な事象にかえていく装置のこととして見たほうが分かりやすい。というより正解であろう。 もう少し補足しておくと、2次元座標は3×3のMATRIXで変換できる。同様に3次元空間なら4×4のマトリクスだ。つまり変換する次元が多くなればMATRIXも巨大になる。4次元の時空に赤い服を着てお出かけする場合なんか膨大なMATRIX変換となる。データをMATRIX変換すると結果が得られる。つまり、MATRIX変換をどの順番で行うかということがプログラムである。 メロビンジアンが言っていた人とエグザイルの違い。ソース(データ)とプログラムの違い。ソースは単なるデータであり、プログラム(MATRIX変換)によって如何様にも変化していく。ただMATRIX変換によって人(ソース=データ=座標)は無いものを有るように、色々経験したように、データが変化しただけであり、エグザイル=プログラムによって操られている。 一般に言われている、マトリックス=SF作品等の語源はギブソンのニューロマンサーだとされているが、実は1960年代からベクトル演算機にはマトリクスとして広く活用されている。それがサイバー空間と結びついたのは1980年代から。1960年代のコンピュータはフレームワークで、ベクトル演算の回路は配線によって成り立っていた。パソコンに詳しい人にはベクトル演算の進化系はグラフィックボード=GPUだと言えば分かり易いだろう。3Dまたはドットマトリクスのように膨大な数の単純なベクトル演算は専用の回路に任せた方が効率が良い。よって、このベクトル演算装置をマトリックス演算と呼び、この演算装置を極限まで高めれば現実と違わないような空間が計算できるとなった。現在のゲーム機がまさにその延長線上の過程に居ることは理解できると思う。 話を映画マトリクスに戻すと、人=ソース=データも理解できる。人は単なるスキャンされたデータとしてMATRIX上では機械に識別されている。さらに言うと、木や空や海などもデータとして保管されている。それらを変換して動かしたり未来を与える役目がプログラムであり、亡命プログラム=エグザイルも同じ力を有している。 余談だが、メロビンジアンの手下にツインズと言う双子のエグザイルがいる。これはコンピュータ的には量子コンピュータを示唆していると思われる。量子コンピュータの仕組みを詳しく解説しないが、ここでは量子ビットと呼ばれる0でも1でもない霧のような存在=重ね合わせ=双子で計算する仕組みの次世代のコンピュータを量子コンピュータと呼ぶ。量子の特徴を映像にするとあのようになることは大変興味深かった。 ではネオは何だろうか?先程、プログラムもデータであると記述した。プログラムとデータの違いとは「データには2つの意味があり、単なるデータと(アセンブル的な)プログラムコード」の意味がある。 ネオはMATRIXの世界がデータとプログラムの2つの記述で出来ていると気がついた人=データである。そのことによりMATRIX変換を自ら操り自由に色々できる。さらに強力なことはMATRIX変換を強固にプログラム=造り替えができることだ。これは優秀なプログラマという資質が役だっている。現実にワームというウィルスプログラムがある。これはデータ間を泳ぐことのできるプログラムだが高度なコンピュータの動作原理を理解していないと作成できない。つまり、MATRIXを理解する=自由にプログラムできるという能力だ。ネオが理解すると次のステップに行けたのはこのためである。スプーンというデータ、それを変換するプログラム=データコードを書くとスプーンは曲がったように変換される。つまりスプーンは無いのだ。データのみが存在し、変換によって自由にデータを変え曲げることができる。これを一般の人が見ると超能力だが、MATRIXと外部で繋がっているネオはプログラムコード領域に侵入しデータを書き換え、あるいはデータを置き換え不思議なことができるのである。これは現在のMATRIXのデータ構造を理解しなければ変換もできない。そして、オラクルに導かれたネオの救世主属性はソースの蓄積とそれらの保管、そして最後のリブート能力(リブート能力については後述)である。 さて、ついに映画のエンディングに触れなければならない。本来はプラグで繋がれマトリクス内の人間を自身に上書きすることでデータ間を漂いアノマリー=ちょっとしたバグの摘出を任されたスミスはマシンにコントロールされていた。ところが、かねてより多様なマトリクス世界に嫌悪感を持っていたスミスはネオとの接触によりプラグが外れデータ間をコントロール無しに自由に動き回り勝手に自己増殖=異物の排除=違った意味でソースの保管を始めた。つまり、システムの暴走である。こうなるとコンピュータの電源を切って再起動するしか方法が無いのが一般的だ。しかし、その方法をとった場合は作業途中のデータが全て消滅してしまい、映画の世界でいえば今回のマトリックスの成果は何だったのか?ということになる。そこで、何とか電源を切らずに作業が続かないかと思うわけだ。 こう考えると、救世主属性を得た者=トリニティーを受け入れる=ネオは愛という属性=使命を帯びながら次バージョンのマトリックスソースの保管と再起動属性を得るプログラムへとデータから昇格する物語ということか?すると、前バージョンのネオはプログラムとしてコンバージョンで生きており、次の物語でまた違う属性を与えられて再生する?そもそも、どの瞬間のソースを保管して再起動したんだろうか? |
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… 時は流れて …
2021年9月10日、 以下追記:
いよいよ新作映画公開10日前になった。 |
新たな マトリクスが起動して何年だろうか? 今の西暦でいうと2020年代を模したシステムのようだ。人々は何事もなかったようにこの時代設定の中で何事もなく暮らしていた。人類と機械の共存のためマトリクスの実験はまだ続いている。 ここにネオ=アンダーソンが登場する。あの出来事から20年後の風体をしているが記憶はないようだ。 新しいマトリクスは前回のリブートの時に約束されていたように人類は機械と親密になるよう脳の一部がマトリクスとシンクロする世界だ。そう、誰でもスマホを手にして個人とマトリクスは人類の知らないところでリンクしている。そのように機械に設定された新バージョンのマトリクス世界だ。 ここで事件が発生する。新マトリクス内で更に権力欲の増したメロビンジアン一派(あるいはスミス一派?)がマトリクス世界の支配に乗り出した。そこで機械側はネオを再び目覚めさせようとする。 しかし、かつての宿敵スミスは青いカプセルを飲ませ続け覚醒の邪魔をする。 時を経て、再び白ウサギに導かれマトリクスの中で覚醒するネオ。しかし、覚醒したネオは記憶を失っているため、同じく若い年齢で覚醒しているモーフィアスのもと訓練を受ける。そして、訓練の最中にネオは記憶を取り戻したのだった。 だが、ネオの救世主属性はトリニティーに愛されなければ発動しないようプログラムされている。現実のトリニティーは機械によって一部を機械化する手術を施され生きていた。 捜索の結果、トリニティーを発見し彼女と再会するネオ。そしてトリニティーをカプセルから目覚めさせることに成功。かつて愛しあった日々を思い出す二人。 トリニティーに愛されたネオは救世主として覚醒する。一方トリニティーも機械の体の影響で違った意味で覚醒。 ついに陰謀をたくらむ組織との決戦に挑むネオとトリニティー…そして機械軍団。 そして映画はどのような結末を迎えるのか? 以降、想像不可能だが、このストーリーじゃ深みがないなぁ。 |
さて、いかがであろうか? あくまで上記は映画公開前に考察をもとに妄想したオリジナルストーリーである。偶然に本ページを訪れてここまで読破した人がいたら(いるのかそんな人?)、その的中率を楽しんでいただきたい。 …というわけで映画の公開日を待つことにする。もし、機械との全面戦争のストーリーだったら大外れ。それはそれで純粋に映画を楽しめる。 その前にどこで見ようか? 私は楽しみにしているが、世間ではどうなんだろう? せっかくなので初日には東京駅界隈をブラブラしてみて席が取れたら入ってみよう。 -記述:2021年12月07日。 |
… マトリックス レザレクションズ見てきました。 以降、ネタバレ・ストーリー紹介なしに鑑賞後の感想を記述しておきます。 安心してお読みください。 なお、ストーリーを知りたい方は wiki のリンクからどうぞ。 |
初めてマトリックス レザレクションズを見た感想を一言でいうと「古いコアなファンにも、20年前をなんとなく知っている人にも、これからマトリクスの世界を体験する人にも分かり易いよう工夫したなぁ」ということです。 その前に、上記の自己妄想による事前ストーリーの自己採点は60点かな?上記の妄想が制作会議の第一稿だとしたらいい線いっていると思うけど… それでは以下、もう少し感想を続けます。 まず古いコアなファンに向けて、ほぼ考察通りなことを前提にして物語は進んだので違和感なく作品に入り込めたかと思います。 次になんとなく20年前を知っている人に向けて、前作に軽く触れながら物語は進んだが、この理解度の層の人には少し退屈に感じたかも? ほぼ良くわからない人か初見の人に向けて、20年前の1作と同様に導入部を通して「さぁ新しい映画が始まるぞ」という構成だと感じた。 つまり、今作は「過去を踏襲しつつも新たなストーリーを現在の人に向けて作り直すことに腐心したんだろうな」という意気込みが伝わってきました。 そこで、試しに映画マトリクスを全然知らない(もちろんSFにも興味ない)人と日本語吹き替え版を見直しに行ってみました。 そして映画鑑賞後にストーリーとか設定を「何のことか分かった?」と質問したところ「理解できた」と言っていたので制作者の意向は成功しているのだろう。 なので今作のストーリーは難解な単語は出てくるものの物語の骨格は複雑ではないので、まだ今作を見ていない人は過去作を良く知らなくても大丈夫だと感じます。もちろん、前作シリーズの(たとえば本ページを参考に)深い考察を理解したうえで見ると少し違った見方はできるでしょう。 さらに付け加えるなら、今作を見た人もすぐにネタバレ・ストーリ紹介の情報は得ないほうが(映画というものはストーリーを追うものではなく感じるものだから)少しの間、健全に楽しくじんわりと過ごせます。 ここで少し説明すると、前作も第1話は深い考察なしに「スタイリッシュな映画」として単純に楽しめた。今回もそのような映画になっている。前作で考察が必要になったのは2話以降からです。ここから戸惑う鑑賞者はマトリクスの世界から置いていかれることを決められてしましましたね。そのようなわけで本考察ページを記述した経緯があります。 もう一度繰り返えしますが、マトリクスを一度も見たことがない人でも安心して鑑賞に行ってください。そして見た後で「合う合わない」は仕方のないことです。今回はテーマ性も巧妙に隠されているので今作を見た後で色々意見は出てくると思いますが、私はクリエイトされた世界を純粋に考察することを旨としているので今作については何も言えません。 新しい物語の導入部で考察することはまだ早いし作者にも失礼かとも思います。 おそらく今回のマトリクスも連作になるかと思いますので、全ての要素が出そろったところで科学とSF的な設定の世界観を踏まえた客観的な考察を始めたいと思います。 というわけで今作についての考察は「まだ考察する段階ではない」ということです。現段階では登場人物の顔と名前、小道具の設定と名前をなんとなく覚えるだけで良いです。おそらく次回以降でそれらの設定が動き始めることを期待しています。 前作もそうでしたが、今年公開の今作は「序・破・急」の「序」ですね。深い知識が必要なのは次回作以降であることを期待しております。 物語の序盤で理解できなければ「どんな作品でも自分には合わない」ということです。そのうち些細なきっかけで興味を持つかもしれないのでその時を待つほうが健康的だと思います。 最後に映画的手法の面白さは前作を踏襲したほうが私の好みかもしれない。実写はトム・クルーズでお腹一杯を味わえるので、(スピードレーサーのように)バーチャル空間はCGゴリゴリでも私は受け入れます。 -記述:2021年12月27日 久保覚。 |