ここでさらりと上図に出てきた聖域と神話をおさらいしておこう。
白山
スサノオ、アマテラス、ヤマノカミなどの多くの神々と島々を創造したイザナキとイザナミの神社、白山比盗_社。
イザナミは後に出産の際、焼け死んで黄泉の国に行く。イザナキはイザナミを黄泉の国まで迎えに行くが失敗する。黄泉の国の帰り、禊の最中、三貴子(天照大神《アマテラスオオミカミ》)・月読命《ツキヨミノミコト》・須佐之男命《スサノオ》)がイザナキの体から現れる。
ちなみに、イザナキ・イザナミと同系列の神々は神世七代(十二神)、その上に位置するのが天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を含む別天神(五神)。その神々の住んでいる場所を高天原という。
阿蘇
世界最大のカルデラで、神話の時代噴火を繰り返していた。神々の住む高天原のあった場所という説や邪馬台国のあった場所という説もあり、大和朝廷の故郷かもしれない。もしかすると、邪馬台国の分派(神武天皇の系譜)が阿蘇の地を捨てて高千穂を抜け日向に移動したと考えるのも面白い(天孫降臨でニニギノミコトは高天原から日向の高千穂に降り立った)。
ちなみにニニギノミコトより先に高天原を追放されたスサノオは出雲に降り立ち、大国主命(オオクニヌシノミコト)の代までに周辺の地域を服従させていった。こちらも邪馬台国の分派が出雲に渡ったと考えると面白い。
霧島
先に悪さをして高天原を追放されたスサノオの系譜(〜大国主命)が出雲で勢力を伸ばすのを見て天照大神(アマテラスオオミカミ)は孫にあたるニニギノミコトを地上へ降臨させることに決めた。その降り立った場所が霧島付近の高千穂。ちなみに霧島神宮はニニギノミコトを祭ってある。また、ニニギノミコトが鉾を逆さまに突き刺した天の逆鉾は霧島の高千穂峰にある(日本人初の新婚旅行で坂本龍馬が訪れている)。降臨の際、随伴した主な神はオモイカネノカミ(別天神、高木神の子)、道案内したのが猿太彦(道祖神)。
ここで注意しなければいけないことは地名である。神話の移り変わり(神武天皇の系譜)は、高天原=阿蘇?(甘木)=邪馬台国?→阿蘇高千穂?→天孫降臨=霧島高千穂→日向→宇佐・瀬戸内海→上陸=熊野→大和と移動するが、移動した先で似たような地名が存在することは良く知られている。
つまり、一族が移動するたびに長い年月をかけその地に留まり、過去の土地の記憶を新しい地で名付けながら大和に至ったのだと思う。甘木周辺・日向周辺・熊野周辺・伊勢周辺・大和周辺には似たような地名や山名が相似形で数多く存在している。
ニニギノミコトは山神である大山津見神・オオヤマツミ(大山衹神社)の娘、木花咲耶姫・コノハナノサクヤヒメ(浅間神社)と結婚し、海彦(鹿児島神宮)・山彦・ホスセリの三子ができる。山彦が皇位を継ぎその孫が神武天皇である。こうして日向にて次期体制を整えたと考えられる。
日向
霧島近くの日向から神武天皇は東征を始める。海に出た神武天皇は宇佐など北九州に寄航した後、瀬戸内海を渡って大阪に付く。しかし、土地の豪族の抵抗に遭い敗れて紀伊半島の裏に当たる熊野に上陸し、大和に至る。
熊野
荒ぶる熊野の諸豪族の抵抗を受けながら神武天皇は大和へ向かう。神武天皇は兄とともに熊野の自然=豪族=神々を闇に葬りながら三本足のヤタガラスの導きで吉野を超える。熊野は冥府に通じる国、光に対する闇の国とされた。
出雲
熊野と同様、死に通じる国、根の国と呼ばれる。スサノオの系譜である大国主命(オオクニヌシノミコト)は出雲を平定したにもかかわらず、天照大神の使いである天津神に脅され、国譲りを了承し死者の国に隠退した。また大国主命に従って国造りしてきた神々も封じ込められた。大和朝廷の出雲支配の記憶がこういった神話になったと思われる。
その時脅しに行った神はタケミカズチノオノカミ(鹿島神宮)とフツヌシノカミ(香取神宮)で脅されたのが大国主命とその子、タケミナカタノカミとコトシロヌシノカミである。大国主命は先に記したとおり隠退(出雲大社・氷川神社・など)。タケミナカタノカミは力比べに負けて諏訪へ逃れる(諏訪大社)。コトシロヌシノカミはさっさと退散(三島神社)。
このとき天照大神(アマテラス)軍(大和朝廷)の参謀・司令塔だったのがオモイカネ(天岩戸神社)で前線制圧軍がタケミカズチノオノカミとフツヌシノカミであったと考えられる。大和朝廷は地方の豪族と信仰を確実に制圧していったのだ。
伊勢
伊勢神宮(天照大神)は全国の神社の大本である。大和から見て最初に太陽の昇る五十鈴川(五十鈴川は日向にもある。ちなみに神武天皇の后は五十鈴姫)の上流に日神の宮を建てたことに始まる。また伊勢にはニニギノミコト降臨の道案内役、猿太彦神社もある。
伊吹山
大和朝廷成立後、景行天皇の子ヤマトタケルは日本各地の平定に出かける。まさに東奔西走の活躍であったが、伊吹山の神と戦い命を落とした。
邪馬台国と土着日本人
天照大神(アマテラスオオミカミ)を邪馬台国(阿蘇周辺=半島渡来人国家)の卑弥呼と位置づけ、スサノオは邪馬台国を追放された男王で、北東に向かい出雲に逃れた。その後、卑弥呼の死後に混乱した邪馬台国から南東に脱出した男王がニニギノミコト。ニニギノミコトは日向にたどり着き三代を過ごす。日向にて神武天皇は海に乗り出し宇佐を通り瀬戸内海を東へ。出雲の国譲りは大和政権誕生後の近畿・中国の制圧時の話と重なりあうと解釈する。ヤマトタケルの東征によって中部・関東の制圧。縄文からの土着日本人は九州南部と東北地方に押しやられる。のちに東北王アテルイの敗北によって東北の土着日本人は北海道まで追いやられ、現在は九州南部・沖縄・北海道(アイヌ)・四国南部に分散するに至った。沖縄の方言とアイヌ語が似ているのはこのためである。
このように神話が重層的に事実の断片と結びついて語りかけてくる。神話に時間経過と場所を求めると正解が出ないかもしれない。神話は断片的な事実の集大成で、時間経過と場所を無視して一つのストーリーに編成してある場合がある。
神々の系譜 |
高天原 |
地上 |
別天神 |
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神世七代 |
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イザナキ
+-----
イザナミ |
+
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-大山津見神(大山衹神社)------- |
|-----石長比売(小御岳神社)
|-----木花開耶姫命(浅間神社)
コノハナノサクヤヒメ |
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クニノトコタチ |
| |
三貴子 |
+------------- |
-……神武天皇-- |
……ヤマトタケル |
天之御中主神
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トヨクモノ
ウヒヂニ
スヒチニ |
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| |
-天照大御神(皇大神宮/伊勢神宮)
アマテラスオオミカミ |
-天之忍穂耳命 |
--ニニギノミコト
(霧島神社)
(高千穂に天孫降臨) |
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神産巣日神 |
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ツノグヒ |
| |
-月読命(月山神社) |
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宇摩志阿斯訶備比古遅神 |
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イクグヒ
オホトノジ
オホトノベ |
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| |
-須佐之男命(氷川神社/八坂神社)
スサノオ
(後に高天原を追放される)
|
-……大国主命(出雲大社など)------
オオクニヌシノミコト
(ニニギノミコトに国を譲る) |
|-タケミナカタノカミ
|-コトシロヌシノカミ |
(諏訪大社)
(三島大社) |
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オモダル |
| |
-タケミカズチノオノカミ(鹿島神宮) |
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天之常立神 |
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アヤカシコネ |
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-……--フツヌシノカミ(香取神宮) |
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その他、神々・島々 |
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高御産巣日神------
(高木神)
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-
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--------- |
- |
-オモイカネノカミ
(のちにニニギノミコト降臨随伴)
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別解釈
高天原を中国大陸と見ると、別天神=半島の国々、神世七代=三国志前の中国の国々と置き換え、アマテラスオオミカミ=北九州に渡った人々=後の邪馬台国?、スサノオ=島根付近に渡った人々と見ることもできる。
その後、北九州に勢力を持ったアマテラスオオミカミの子孫の神武天皇が日向から瀬戸内海を渡る際にスサノオの子孫が支配している中国地方を通る。ここで、スサノオの子孫が同族である神武天皇に中国地方を譲った可能性がある。神武天皇は紀伊から大和に入り近畿地方を制圧し、ここに近畿・中国地方を中心とした大和政権が誕生した。問題になってる邪馬台国の場所の記述は脱出大陸人の楽園を秘すため、魏の使節団にウソの報告をさせたとも考えられる。 |