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浄蓮寺は、明治5年には無檀家のため官命により廃寺となり、明治7年11月14日の村内に起こった大火で類焼してしまいました。梵鐘には、表に南無妙法蓮華経。 裏に光勝山浄蓮寺。横には安政二年 駿河国江尻住 御鋳物師 山田六郎左ェ門藤原種秀と刻されており、今から139年前に造られたものです。 浄蓮寺法塔 保食神 浄蓮寺を今に伝えるのは「浄蓮寺坂」の地名と「法塔ニ基」と「梵鐘」あるのみです。 「勝山記」は、冨士御室浅間社神官の内庵であった、浄蓮寺僧代々の見聞の記録であるといわれます。
浄蓮寺は、明治5年には無檀家のため官命により廃寺となり、明治7年11月14日の村内に起こった大火で類焼してしまいました。梵鐘には、表に南無妙法蓮華経。 裏に光勝山浄蓮寺。横には安政二年 駿河国江尻住 御鋳物師 山田六郎左ェ門藤原種秀と刻されており、今から139年前に造られたものです。
浄蓮寺を今に伝えるのは「浄蓮寺坂」の地名と「法塔ニ基」と「梵鐘」あるのみです。 「勝山記」は、冨士御室浅間社神官の内庵であった、浄蓮寺僧代々の見聞の記録であるといわれます。