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SF好きの人にはスンナリとストーリーが入るかと思いますが、それでも難解なのは否めません。 「映像表現」とか「実際はどうよ?」というのは置いておくとして、予備知識があれば見方も変わると思います。
というわけで、予備知識をマニア向けに伝授してみる。
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1.ブレーン宇宙論という考えがあります。現在、私たちが関知できる時空は5次元以上の高次元をスライスした切り口の連続の一枚で、たとえるならハムの輪切りの一枚一枚が4次元に生きる私たちの時空の一つと思えば良いでしょう。そして、現状ではそのハム一枚しか認識出来ませんが、5次元以上の高次元から見ればハムの輪切りの塊が見えるわけです。 そしてココが重要ですが、その輪切り間の情報は重力(重力子)のみで可能ということです。つまり、時間と空間を超えて(隣のハムの一枚と)通信(情報伝達)出来るのは重力であるという仮説な訳ですが、映画の中では「人の愛」といった思いも時空を超えるとして物語を深めています。
2.(時空を超えた話なので)ストーリーの出発点はどこかと思うとき、物語後半で主人公から娘に時空のデータを送信したときと考えると面白いです。また、このとき娘は父からの愛を受け取ります。ココが本映画の起点であると思います。 この起点を中心に未来に進み、娘は時空データを元に新しい時空論を構築し、完成させます。この研究結果を基に人類は宇宙に穴を開け、5次元制御装置を完成させます。
3.物語の起点を遡って過去の主人公は未来で助かることは保証されています。決してご都合主義では無く、必然なのです。あの主人公の行動も危機を脱出するのも、もしかすると映画の主人公なのも…ご都合主義で生き残りブラックホールの時空に捕らわれたことさえ未来(起点)でそのデータを送信することを考えれば必然となるのです。すべては物語の起点から始まるのです。究極の夢落ちなのかもしれませんが。
4.そう考えると伏線の散らばり方も絶妙であるし、映画を見る人の時空の理解のために時間の進み方の遅い惑星を出したり、人の思いが事態を変えることを理解させようと氷の惑星を出したり、科学考察に沿ったCG映像のサービスもあります。そして、全ての要素が「時空を超える伝達は重力と愛だ」に帰結し、量子論の一部として扱っているよう計算されていると思います。これがマニア向けの映画的手法かと思って観賞出来ます。 つまり、普通のSFマニア程度には「親子の愛情物語と何だか一般相対性理論」に批評を留めさせることも可能です。 一方、「1」のブレーン宇宙論を理解すると「人の思い」「幽霊」「重力」「時空」「情報伝達」「場」についての空想を提起させ、より深く映画の世界と現実の世界で不思議に思うことを楽しまさせる工夫があります。
5.残された大きな疑問は「時空を手に入れた人類の未来は未来なのか?」という部分が溶解してしまい思考停止せざるを得なく、映画最後で主人公が残されたクルーに会いに行く未来への伏線が正解なのかさえ分からなくなることでしょう。何故なら物語の起点を「2」と想定すると、それは映画から見て真の未来に当たるのですが、「3」のジレンマを想定すると、ある時点は夢なのか現実なのか分からない状態と言えるループに迷い込んでしまいます。 まぁ、それが狙いなのかもしれませんが…
そういえば監督のクリストファー・ノーランは本映画の前に「ダークナイト」「インセプション」の中でも夢と現実の区別について映像化しているし、時間をぐちゃぐちゃにしている。なので私の推測も正解であると思う。
http://wwws.warnerbros.co.jp/interstellar/ |
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追記 |
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さて、SFが好きな人ならこの映画の元ネタに何か思い当たりませんか?
メカデザイン、宇宙服、変わった惑星たち、垣間見える構図等々、さらにはラザロ計画=人類播種計画、ラザルスロング=延ばされた時間、マーフ=カシオペア、ロビンソン=プランB、…
そう、気が付きましたか? まさに、星野之宣の「2001夜物語」の世界観とかなりの部分で一致をみるのです。星野之宣と言えば少年ジャンプの手塚賞を経てブルーシティーと続くSFの正統漫画として有名ですね。 |
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2001夜物語 初版本1985 Vol.1〜3
そんな星野之宣も大の海外SFマニアで、オリジナルネタはロバート・A・ハインラインに行きつく。 その中でも「メトセラの子ら(地球脱出)」は宇宙戦艦ヤマトの元ネタであり、ラザルス=ラザロのプランでもある。
よって、本映画のルーツを探るとロバート・A・ハインラインと星野之宣となる。 …そして、具体的に影響を受けたのは果たしてどちらなのだろう? |
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#映画 #マンガ |
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